2017年12月8日金曜日

イメージ 計画

快を求めて音楽をやる。

けど求めすぎても危険。
そこに快しかない場合(と言っても人間の目指すものはほとんど快だと思う)
刹那的な快だとしたら、身を滅ぼす。
とにかく利益と計画と目標を具体的に立てる。
人生に退屈しないことの一つは、意味を持たせることだ。
自分は自分の音楽、曲をやらないと意味がないと思う。
これは理屈抜きにしてもそう。

それぐらい我儘に自分の音楽をやることはどいう意味があるか考える。
一人ではつまらないし、何よりおかしい自己顕示欲があるので(これはみんな持っている)
そこで自分と共有してくれる人達にどのようなものが与えられるか(資本)を考える。
自分にとっては音楽とそれに付随する音源や見せ物。

だから何よりまず曲を作る。

これから自分に必要なこと。
自分の演奏、作った音楽で利益を出す。

・自分のオリジナル音源を作り、そのバンドを作る 創造力が必要なイメージ 

・ジャズのフォーマットを通した演奏力をつける、それで自分のジャズのバンドを作る、他人のバンドに参加する 厳しいイメージ

・ポップス、ロック、ポストロックに重点を置いたバンドを作る、またヴォーカルやコーラス、バラエティに富んだものを作る。 楽しいイメージ

・ポリリズム、プログレ、複雑なリズムを理解し、消化し、なるべく曲に反映できるようにして、なるべく分かりやすい大衆性を帯びた曲を作り、バンドを作る。変わった変態的なイメージ 

このサイクルで演奏して利益出したいな。
飽きと慣れと楽しくする創造力。

技術面
・他の楽器を通して、音楽の解像度を上げる。
とにかく他の人の立場に立つ。

精神面
・少し呑んで立場をわかるようにする、あんま分かりたくないけど。
飲みニケーション、ほとんどかわす。
他人を切り捨てる覚悟と割り切りが必要
性質、場所を感じる。新たな見識や文化を知ることも大事。

体力面
日頃から運動する、疲れることをしない、疲れる服装、疲れる考え、とにかくしない

勉強はすべし、改善反省できる面はとにかくやるべし、好きなようにやる。
楽しく、楽にできる方法を考える。

2017年12月7日木曜日

ボーっ

何もやる気が起きない、何か楽しいことがしたい。

無だ、休む。本で読むか、人と会いすぎて疲れてる。
しばらく一人になる。ボーっとする。インプットも疲れた、アウトプットも疲れた。
走ってみるか、流動しないと。目的も目標もない。ただ現状が続けばいい。無理して表現する必要もない。

とにかくやることを書き出してもめんどくさい。
一つ一つやっていくか〜・・・・

とりあえずボーっとすることに意味があるらしいのでボーっする。

2017年12月4日月曜日

相対化した物事

歩くと思考が整理される。

優先するもの以外、淘汰されていく、ぐちゃぐちゃなものが川のように溶けて流れていく。
それでもたた漫然と忘れていく。
何か考えているのか、自分が自分でいるのか不安なのでとにかく歩いたり何かないかと焦ったり、何もしなかったりのサイクル。
何か色々解決、決断したと覚えているが、忘れた。
何かを主張したいような気もする。
主張で思い出した。

言葉でどんどん主張したほうがいい。
何をするにしても、言葉がコミュニケーションの壁となる。
特に何を言ってるか分からない人に対しては問題。自分の知識が足りないせいもある。
あと年長者に対しての場合、言葉や技術は経験から敵わない(この言葉が適切か疑問)。
なので一生懸命、自分なりにこねくり回した理論を相手にぶつけるしかない。
自分の場合、これは否定されることが多い。それでも自分だけの正義と傲慢さを持たなければ社会はやっていけない(たまに)。
通じ合えないと思ったら逃げの一手だが、なるべく理解し合える相手とは共有できるよう日頃から知識を得るようにしたり、本番一発の場合一生懸命やるしかない。それでダメだったらもうダメだ。
人間それくらいのもんだと思って諦めたり、俺はこれぐらいしかできないんだと思うこと、大事。

先日、高校生のライブを見てきた。
その親御さんも見に来ており、親の心情を思うと涙が出てきた。
純朴な表現を見ると、これから社会に荒波に揉まれる(この言葉は好きではない)のかと思うと辛くなってくる。
中学生高校生辺りはもう目にするだけ辛くなってくる。
しかし人によっては学生のあとの方が生きる時間は長いので、ここからが本番だ。
そのための準備を自分はしてない、できないと分かったので修正すべく奮闘している。
あの頃からもっと勉強していればと思うと、後悔もある。
皆なんであんな錯綜している場所で勉強できたのかと思うと凄いと思う。狂気の沙汰だ。

しかし今の方がずっと面白い。音楽稼業に曲りなりにも携わってるし、音楽がなかったら今より腐敗した生活になっていたかもしれない。
表現があったからこんなことになってしまったのかもしれないけど。ときに自分の全てをさらけ出すことが表現には必要なのかもしれない、蒸発とかそいうことではない。



2017年12月2日土曜日

アウトプット

何かアウトプットしたい気分になっている。

とにかく常時ハイ。
何かがしたくてたまらない、これは危険だ。心臓の鼓動が早まっているし。
だからとにかくやる、ポイントは積極的に動くことだ。
これは義務感からではない、自分がやりたいと思っていることだ。
そう、それだ。

最近はこんなに他人と良い形でコミュニケーションさせてもらって良いのだろうかと思う。
今までこいうことはなかったから嬉しい。だけども限度もあるからバランスを考えてやっている。
少しコミュニケーションの仕方や自分の限界を知ったおかげもある。
これから何度も自分の中の線引きを具体的に決めていくのかと思うと骨が折れる。
しかし先ずは身近なところから手を出していくべきだ。
好きな服、音楽、食べ物、仕事、環境、人間関係、遊び。嫌いなもの。
理想と現実を、その都度照らし合わせて自分を作る。
無知というのは突然やってくるから人生はハードなものだと思うけど、基礎を学んでおけばとりあえずなんとかなるだろう。
生活、表現、人間関係の基礎。
日頃からありとあらゆる文化を知ることが大事。
知識は鍵だ、疲れと怒りと寒さは敵だ。きっかけはランダムだと思うが積極性も少し含む。経験は積む。
しかしどうにもならないことも存在するから、その時はしょうがない。受け入れるか、逃げるべし。

資本に関するものを読んでないから、説得力はないが、資本のことを考える。
音楽もそれで消費されているから、芸術性云々に関して批評される。
経済が回ることで消費される音楽、それで承認を得る方法で大多数活動している(自分も)
お金を貰いつつ媚びるか、貰えないが自分の音楽を貫くか、大体二手に分かれる。
議論で白熱すること間違いない。
大事なのは当人が満足するかで周囲が決めるわけではない、しかし批評するのも自由。
音楽の好き嫌いは宗教のそれと一緒なので議論するのは危険だ。
小さな認識の違いがズレを生む、これは生活と一緒。
音楽を構成する要素は、複雑だ。音楽はいつでもそこにあるし語り合っても解決しない問題ばかりだ。どんな状況を想定するか、で変わってくる。
今は題材がパッと思い浮かばないけれど、語ろうとすれば混乱に陥る。実はシンプルかもしれないけど。

東京に行った。
セッションしに行こうと思ったけど友人Tに会うことになった。
他には楽器屋回った。やっぱり気になるものがすぐ目に入る。試奏する。
なんだか今までの東京とは違って少し実態が掴めるような感覚になって落ち着いて楽しめた。
これも経験だろう、また友が案内してくれたおかげもある。
カラオケも行った、なんだか昔に戻ったみたいで楽しい。
窮屈、停滞した日常の解放に東京はちょうどいい。
物理的な距離も。
運転したから緊張感もあった。
もっと東京のことを知りたい、遊びたい。遊び足りない。

日々メモがたくさん溜まって行ってどれも消化できていないので、やっていきたい。

来年はライブの数が増えると思う。
やっていきます。

2017年11月30日木曜日

疲れ

今日一日疲れていた。

今日までたくさん仕事したし、音楽活動もしていた。
疲れは目の疲れからくる、目の疲れで大分やられる。
原因はネットやスマホだろう。少し控えよう。
控えた時に見える景色もあるだろう。
学ぶ環境や気持ちを切り替える事柄を逐一チェックしなくてはいけない。
自分の気分を変えられるか。
原因さえ分かれば簡単だし、あとは実行すればいい。
思ったより、なんだこんなことかって思う、また知らないことも多すぎる。


路上の防寒対策が進化しつつある。
まず風を通さない素材であることが第一、靴も。
暖かい靴でない場合、足先にカイロを忍ばせる。冷え性には冬は堪えるので助かる。
サンダルで来ている諸君もいたが大丈夫かと思う。
長期的に見れば、暖かい靴を買ったほうがいいだろう。また冷え込みが増した時は手がかじかむのでろくに手が動かない。
手袋も必須だ、弦楽器の場合手袋をはめて演奏すると素材が動物繊維だったりすると余計なミュートがかかってしまい演奏どころではなくなる。
なのでゴムの工具用の手袋でできたらなと思う。巷ではオーダーするとギターに適した手袋がある。いずれまた。
また変な人に絡まれると危険なのでいつでも逃げ出せる機材環境を作らないといけない。
自分の場合はスピーカーなどかさむものが多いので手間取ることもある。
酔っ払いの男の人が多い気がする、何気無いヘイトもどうでもいい。
コミュニケーションが一方通行、それでも相手はそうしたかったのだろうと想像する。
もっと黙らせるくらいの表現力が欲しい。


今日みたいに疲れてるとaiでもなんでもいいから早く文明が発達して仕事してくれと思う。
人間は仕事から逃れられないというのを何かで見た。
アホな生き物だと思う。
自分の場合は傍を楽にする。

退屈から何かを生み出す。仕事も遊びも。

明日はどこか行きたい、歌いたい。叩きたい。

2017年11月23日木曜日

勉強

頭のいい人はすぐ解決策を出す。

思えば子供の頃から知識人みたいな同級生は皆、情報量多くても、パニックにならないなと思っていた。

今、形成された知識

・音読み……
昔の中国の発音をもとにした読みで、聞いただけでは意味がわからないものが多い。
・訓読み……
漢字の意味を表す日本語の読みで、聞いただけでも意味がわかるものが多い。

ふと音読み訓読みの違いを疑問に思った。
多分最近本を読んでいて古文とか漢字とか言葉に興味が出たからだろう。
そうすると英語も学ぶか〜とかぼんやり思い始めて、書き取りとかめんどくさいから英語の歌だけ聴いて満足したりして。

近郊のイベントを調べてみると夜間学校の説明会とかがあって驚いて、また学んでみたいな〜とぼんやり思った。
今更だけど、子供の頃行っていた監獄みたいな学校には行きたくないし、いろんなことが錯綜しすぎて授業どころではなかった。
ほとんど思い出せないのだけれど、なぜ自分が勉強しなかったとか考えるとそいう部分にあった。という言い訳。

何故という部分を今更考える、そして自分なり解決策や答えを出す。
他人に頼ってもいいんだけど、なるべく一人で出した方が深みのようなものが出ると思う。

ただやっぱり思い出せない、自分がなぜ勉強しなかったのか。
単純に嫌いだったんだろう。考えたり自分なりの答えを出すというのが苦手だった。
競争みたいな部分もあるし、向上の先に目的があればいいけど。
皆よくやっていたなと思う、ゲームみたいな気分でやっていたのかな勉強。
いやでも惰性で勉強してた人とかいるのかな、まぁいるのかもしれないな。
目的はあった人もいただろうし。

自分は本当に何をしていたのかあまり思い出せない。
ボーっとしていたような気もする。
あと東京に行きたいな〜とぼんやり思っていた。
そうすれば話の合う人もいるし希望もあった。

あとやっぱりいろんなものの表現を体感させてもらえたのは大きかった。
その広大な深淵な世界観に思い耽っていた。
音楽を音楽というよりかはその世界観の中に、入り込む体験・・・
フリージャズや舞踊、フォーク、プログレ、様々な複雑な表現を音楽基礎や芸の基礎みたいなものを知る前に体感したのはマズかったのではないか。
抽象的なものを具体的に言語化する技術がないし、他人に伝えられない。
表面的なものを感じようとしていたかもしれない、直感的。

音楽は聴く人を選ぶし、音楽によってそいう細部の部分の違いを楽しむ価値観に果てがないということ。勝負のような部分もある。どこかで自分の答えを出す。
常識とか個人によっても恐ろしく価値観が違うので、混沌としている。
何より好きでやっているんだから。

全てを論理的に説明できるわけがないけど、小泉文夫さんという方のラジオをyoutubeで聴くと勉強になります。芸大ではこいうことが学べるのか〜と思ったりした。

ただ自分のやりたいことを見失わないようにする。
最近は、今日はもう音楽できなかった。したくなかった。無だった。
これから考えられるのは音楽は自分にとって気分的なものだし自制できるような代物でもない。
もう疲れた。
ただたまに自分の音楽が必要とされたり役に立ったりする時があるのかもしれない、今自分にすぐできることはギターだし話が早い。
たまにさ、役立ったりするんだ。ある程度自分の目標とする技術力は惰性感を出しつつ練習する。
好きなものに関しては結果よりも過程が大事だと思ってる。
やっぱり気持ち的に好きなこと、ポジティブな気持ちでやれたらいい。


最近はもっとフラットな方向というか多少主観はあるけど、もっと気軽に自分がいてもいなくてもいい場を作りたいなと思っている。めんどくさがりだし責任も嫌いだけど、誰もやらないからやりたいと本気で思ってる。
よかったら遊んでください。
ジャムセッションもそれだと密かに思ってる。分からないことも多いけど、そんな混沌ができたらいい。自分はそれをやりたい。

そのために必要な勉強はする。またそれが自分にとって楽しいし好きだ。

あと自立した幸せっていうのを具体的に捉えに行ってる。
もう少しでいけそうな気がしてる。

あ〜疲れた、カラオケ行きたい。




2017年11月20日月曜日

涙と最近

無知の涙を読んだ。

もっと早く出会っていれば、見方が変わっただろう。だが、今読んだから見える景色がある。
どれだけ知識を詰め込んでも、趣向で知識を選択してしまう、ということが書いてあるのが自分の中に残っている。
なぜなら、今あわよくば趣向、性格を変えたいと願っているからだ。
これは知識を取り入れたからといって、良し悪しは分からないということにもなる。
著者は殺人したことで自らを肯定している、それは刑務所に入り字を、文法を、思想、主義を学んだからだ。
自問自答し、様々な意味を自分と社会に見出した。
「今なら生きている意義もはっきりとわかる」というのも印象的だった。

読む進めていくうちに他の本からの引用や、最終学問としての哲学と倫理、唯物論、実存主義、プロレタリア、社会主義、資本論と言った言葉が印象的。
また弁証法という言葉、これは前に読んだ本を読む本(C.V. ドーレン とモーティマー・アドラー)にも出てきた。

弁証法
べんしょうほう
dialectic; Dialektikギリシア語の dialektikē technēに由来し,
対話術,問答術を意味する。アリストテレスによれば,エレアゼノンが弁証法の創始者とされるが,彼は「多」と「運動」の実在性を主張する論理の矛盾を一種の帰謬法によって明らかにした。ソクラテスは対話術を広く活用し,論者の意見や思惟の矛盾をつき,事実の概念的把握を試み,真知の究明を目指し,プラトンは真実在たるイデアにいたる思索上の方法としてこれを積極的に利用し,アリストテレスは論理学の一部門として学問的に位置づけた。近世では,カントは弁証法に独自な意味を与えて消極視したが,フィヒテを経てヘーゲルにいたると,全学問の方法的基礎として重視され,マルクス,エンゲルス唯物弁証法に発展した。

本を読む本に出てきた技法を全てできるわけではないが、探求したい物事にはなるべく力を注ぎたい。

だが前に、上にと向上していこうとすると、技術に捉われて無機質で機械的な意識で取り組むようになっている。
そうではなくてバランスで、自然さと不自然さを同居させる。

このタイミングでテレビでプロフェッショナルという番組で過労死の特集をしている。
労災、労働基準、過労を強いられる立場と取り巻く社会。
これらは無知から来るのではないか、何かの掛け違いで辛くなってしまう。

「こんなに素敵な仕事なのに毎日心をくたくたにするのはおかしい」という女性の発言。
涙を流し、切実な様子だった。
社会は競争を迫って来る。だが相性があり、選択肢が我々にはある。
自分はこの身を持って生き方を一つ提示できたら参考にしてもらいたい。

資本主義、社会主義の言葉が浮かぶ。
まだ理解できてないので、色々言えない。多分そこに意味があると思う。
オープンソース、勉強しよう。


最近はなるべく目を疲れさせないようにしている。
積極的に眼鏡は外すし、眠くなったらすぐ寝るようにしている。
そして食事の時間帯も規則的なリズムにしてみた。
そうすると、不思議と睡眠時間のリズムが出来上がってきて最低でも22時には眠れる。
といってもつい0時になってしまう、これでもいい方。
おかけで疲れにくくなってきた。暴飲暴食、寝不足、過労に気をつける。

今日も生きた、よくやった。過剰だが自分を褒めるのも大事。誰より自分が自分をいたわるべき。

メモ
暖かい靴 路上手袋 iphone 東京ジャム オフ icloud 価値 cd良さ 近代化 spotify 短歌 詩











2017年11月14日火曜日

かつてない魂の軌跡

今、無知の涙(著:永山則夫)という本を読んでいる。

著者は殺人を犯したことで徹底的に社会と自己の関わりを見つめ直す。
その見つめた悩みの数々が決して、著者だけのものではなく自分のことだと言われている気がする。
無知から来る感情や出来事に対して、著者が練った答えを出しているさまは説得力がある。

諦めや達観の心情と混沌が渦巻く心情の中を行ったり来たりしながら、不安定な波の中に自分も感情移入してしまう。
今普通に生活している裏側に、闇がある。
光があるところに闇があるように、付き纏うものなんだと分かる。
見ないふりなのか、ただ単に知らないだけなのか、自分にはその先に死があるような気もするが、分からない。

だってまだこの世には凄いことがあるって知っているから、未練のようなものかもしれない。
まだまだ、足掻いて足掻くしかないよ。このように自分は楽天家である。
と同時に全てを抱え切れるわけではないと自己中心的になる。
分からないことが多すぎる。社会に対し、他人に対し不平不満があれど自分はそれに対し解決できてるか、また疑問だ。誰かに対し何かを言うこともできないし認知し、理論で分かっていても生きてる以上は勝手にぶつかり合ってしまう。
ただ毎日少しずつ、社会に対して自分がなんとなく進んでいるのではないかと思う。
今まで見えなかった景色や、自分が脱皮していく感覚に出会えてよかったと思う。
不安はまだ尽きない。

人は毎日違うものに興味をし、不安定なものだとかいてあった気がする。


印象的だったのは、夢幻、知は力(フランシスベーコン)といった言葉。
フランシスベーコンは前、田中泯さんが言っていたので印象にあった。


これを機に資本主義や社会主義を見つめ直したい、自分の著者同様、無知であるから。



永山 則夫(ながやま のりお、1949年6月27日 - 1997年8月1日)は、1968年から1969年にかけて連続ピストル射殺事件警察庁広域重要指定108号事件)を引き起こした刑死者(元死刑囚)である。北海道網走市生まれ。明治大学付属中野高等学校定時制中退。
1969年の逮捕から1997年の死刑執行までの間、獄中で創作活動を続けた小説家でもあった。1983年、小説『木橋(きはし)』で第19回新日本文学賞を受賞。


2017年11月6日月曜日

根拠のない自信。

何かも整合性があるものを目指すべきか。
よく分からない、とにかくがむしゃらに突っ走ることで行動できるかわかn

変わっていく自分と社会 理解

日々変わっていく自分の心と周りの人に対する理解。

曖昧な日常、ふわっとした何かがあるということに対して自分なりの解決を求めて本を読んだ。
常識、教養、心に何が必要なのか、問いかけた。
まだほとんど解決には至っていない、だが自分なりに進んでいるという手応えがある。
その中で最近興味があるのが、老いと人ということだ。

確実に老いが延長線上にあることを肌で感じ始めた。
今まで関わってくれた人の言動が少し理解できる気がした。ポジティブなイメージ。
物事は表裏一体、だが、今は前に進める気がする。

これから先も生きていくために、必要なこと。
生きなきゃとかそいう切迫詰まった感じでも無い、それは自分がこの時代、環境、そしてたまたま日本に生まれついたから。それ以外の苦しみは到底抱えきれない。
たまたま目にしていない、目にしたくないことがこの世にはある。
目にしたらどうなるのだろうか。いつの日かまた打ちのめされるだろう。

戦後、生きていくために人々は必死だった。
そんなエネルギーを引き摺った昭和、高度経済成長とともにあった団塊の世代の表現を見た。
凄まじさ、寂しさ、黒いアンダーグラウンド。
埃が混じった情景が浮かぶような空間を感じた。
その延長線上に、あらゆる音楽、文化があり自分も恩恵を受けている。
無数の人々が作り、今もなお表現している、とても素晴らしいことだ。
そいうエネルギーとは別に、普遍的な表現も存在しているとも思う。時代ごとに違う。わかんないけど。
まだ知らないことに埋もれた悲惨なことも無限にある、違う価値観も。
全てを知ることはできない。この世は混沌としているようで心持ちで様変わりする。

必ず死ぬ時はやってくるので、それを意識する。
過程はいろんなことがある、それはまぁ時に比べられたりもするけど、度合いによって差があるので自分中心で物事を捉えるのがいい、まぁバランスで自分:他人50:50ぐらいで良いと思う。

あらゆる苦しみからの解放の先に自殺があるとするならば、もったいないと思う。
まだ世の中には知らないこと、自分と気があう人、環境もあると思う。
せっかくだし恋愛、バンド、思ったように喋ったり、生きたりすればいい。
生涯1億人と話せば考えも変わるはず、と自戒を込めて言いたい。
出会いは不思議だ、縁が結んでくれる。運もある、けどなるべく求めたい。
たまたますれ違っているだけでいつの日か、巡り会えたらいい。
何年先になるのかな、例えば自分が何かを作って死んだ後に聴かれて影響を与えられたらと思うとロマンチックだ。死者からのメッセージ。
古い盤を聴くとそう思う、もうこの世にはいない人の景色が浮かび上がってくるのだから。恐ろしいことのような気もする、違和感。

音楽は裏付けで、音楽が魔法であるかどうかは基礎と裏付けにあると思う。
温故知新のように、様々なことが技術的な面では全て出揃っているのでそこを抑えるようにしたい。途方もないが、普遍的なものはすでにある、それでいて今をすぐ捉えられるようにしたい。日常を乗り越え麻薬のような音楽に手を染める。

無限に学ぶことがあるならば、無限の中にもまた自分がいる。
無限を覗き込む時、無限もまた自分を覗き込んでいるのだ。
何かを求め、選ぶと同時に自分も選ばれる立場にいる。
不特定多数に向き合うのも生き方だけど、特定のものに向き合うのもいい。
ただお金は保証できない。
歴史と教訓、今あるものを駆使して生きる。

話は変わって、相手を褒めることは難しい。
迂闊にいいとか言えない、建て前は平和にコミュニケーションするには便利かもしれない。常識なのかもしれない。
褒めることは、いろんな知識、経験を使う。日々の積み重ねが相手を分かる秘訣だ。

このように日々勉強している、今まで分からなかった音楽や、日常のあれこれが分かるようになってきた。

最近は怒りについて勉強していて、あぁそうかこいうこともあると受け流せるようになった。
怒りは危ない、いつもすぐ側にいる。一番いいのは怒りのある環境にいないことだ。
モヤモヤをいつもどうするか自分に問いかける。





2017年11月1日水曜日

怒りをどうやって回避するか

今日は怒らないことという本を読んだ。
著者はアルボムッレ・スマナサーラさんという方です。

この本から教えてもらったこと
・怒りは無知からくる
・怒りを認識し、観察することで原因がわかる
・怒りはエゴの制約によって生み出される

徹底的に怒らない、またそれは我慢であってはならない。
なぜなら我慢したら内側に怒りが残ったままだから。
大事なのは、今怒りが発生したと認識すること。そこから自分の声に対し怒りを抜くこと。
怒りは弱者の虚勢だとも言える。

現状を受け入れエゴを捨てる、卑屈、自身過剰であってもならない。
自分と向き合って怒りではなく「問題」を捉え、智慧で他人とコミュニケーションする。
「自分で気づかない根本の気持ち」と「自分で気付いてる気持ち」に矛盾が少ないほど正直者。
そして笑うことが重要。

仏教徒のモットーとしてノコギリの譬えという説法があって、それは強烈だった。
殺されても怒るなということだ、なぜなら怒りはそれぐらい猛毒で伝染してしまうから。
また地獄行き。
この話を見たときは、大丈夫かとも思ったけどそれほど生きるために信仰していたんだろう。天国と地獄、幸福と不幸を天秤にかけいつの時代も求めている。

今日も、自分は怒りを発生させてしまった。気付いたときはもう遅かった。
素早く現状を認知する力と智慧がなければ、怒らないことを実践するのは難しい。
ただ日常の簡単な怒りには対処できるようになった。
今日は怒りのあとに時間を経て認知した。
怒りは無知からくる、確かにそうだ、現状周回遅れの知識足らずのスタートでも何とか頭巡らして怒らないこと=問題解決するべく生きる。

そのために日常の細かい部分を把握するべく、意識して生活しないといけない。
たまになんで怒っているのかが分からなくなるから注意。
そいう場合はいかに自分が怒りを放置している可能性がある。
日常の怠惰に身を任せ、問題解決を先送りにしている。


やること多すぎる〜

自分のやること
本の整理 服の整理 使わないスマホの活用法 機材の活用法 曲制作 断捨離 スマホのいろんな同期 社会の常識の擦り合わせ やらなくていいことはやらない ライブ スケジュールの把握 やりたいことを把握する 話し方 機材の修理 読書 練習 スピーカーの修理 ライブの場所 人と出会う 実りあるものにしたい 

スッキリしたけどあぁ疲れた。

2017年10月28日土曜日

発想する秋

秋、冬は良い。

飲み物はホットが中心になった、ストーブも出した。
ミルクティーの甘ったるい匂いと、ストーブの暖かさで色々思い出す。
この暖かさの中でバンドの練習したこと、友人(だと思う)と話したこと、個人練、作業したこと、オレンジ色の電球が目に焼き付いてること。
全てこの部屋であったこと、そんな思い出と何となく区切りがつきそうな予感にさせてくれる。
でもこの思い出があるから、やっている気もする。

今日はライブの準備をした、やっぱりライブは良いものだけど客として見た方が幸せな気がする。
表現に左右され楽しみたい気持ちを自制するのが大事かもしれない。
だが最近はそんなことにもやりがいを見出せるようになってきている。
割り切ってやっているとき視点は別方向にシフトし、様々な視点を思い出し擦り合わせる。
そうすること自分の確固たる視点が生まれる、それはサポートするときも演奏するときも大切だ。
ただ人と関わってやると限界がくる、最低でも5時間ぐらいが限度だ。
同じ場所、人間関係で一日拘束されると発狂したくなる。
これを念頭に置いて上手くガス抜きすることが最重要事項。

人がよく死ぬ、死にすぎると死の感覚がおかしくなる、「あ、死んだ」くらいにしか思わなくなる。
ただそれは遠い人のことを思うときだ、死を繰り返し感じ見た人はどいう感情になるのだろう。
悲しい、けど死はいつもすぐそこにあるような気もする。「あ、あった」みたいなレベルであるよう気がする。
悲しくもないような気もするし、しょうがないことだとも思う。
自分が死ぬときはせめてイライラして死にたくないなぁ。
イライラと他人にだけは殺されたくない。

寝るとき幻覚を見る。
寝起きか寝る前か覚えてないけど、なぜか自分はテニスをしに千葉へ向かうと予定を立ていた。
そう確信していた、起きたらなぜ確信していたのかもよく分からなかった。
寝る前は確信していたと思う。
他にもあったよう気がするが忘れた、夢(幻覚)と現実の境目が曖昧になった感覚がパプリカみたいでワクワクする。
現世は夢 夜の夢こそまこと

最近興味があること
数学 英語 プログラミング 本 ライブの計画 場を作ること 瞑想 温泉 
社会 異性 集客 自分の向き不向き限界を知ること 練習リズムスケールコピーアレンンジ 機材 話すとき客観視 唇 曖昧な集団帰属意識 登山 酒 

 



2017年10月25日水曜日

不安

じわ〜っとした、この10月の寒さのように、不安が纏わりつく。
これからどうやって生きていくか、

人として、男という機能を持ったものとして、楽器弾きとして、成り立たせるという難しさ。簡単なのかもしれない。

急だけど

いきなり世界全てを説明し尽くすような理論を目指すタイプ(分裂病圏)事実を元にして周りとの関連性に配慮しながら帰納的にコツコツと理論を組み立てて行くタイプ(躁鬱病圏)

というのがあるらしい。
自分のタイプというのも分析するとわかりやすい。何故そうなるのか?という疑問も湧くが、傾向、性格というのが自分の行動を決定づける。となっているらしい。

いろんな本を読んで勉強すれば、少しは生きやすく楽しくなるのかもしれない。
できれば楽しく生きたい、なるべく楽しく生きたい。楽をするための努力はする。

音楽活動する上で、大体の問題は金だったりする。
交通費、制作費、人件費、何とか費、金金
湯水のように、とまでは行かないが、活動する上で必要な資金を確保する上で必要な仕事をする。
適正検査、繰り返し。なにが正しいのか、エラーエラー。

最近、なにがしたいのか楽しいのか分からない。
音楽ももうよく分からない。見失った。

もっと人と関わる。
矛盾を孕んだ行為はエラー。
途端に自分が分からなくなる。怖い。

一時的な気の病だと信じていたい。寒さのせいか、晴れたら運動すれば直るのか、自分のボケのせいか、分からない。

資格を取るか、もっと機械とかいじられば、いちいち人のいうことに反応しなければ。
阿呆らしい、普通になれたらいい、でも自分にとっての普通だから。


とにかく、いつも暖かくいたいです。

今日はダメだ。

2017年10月24日火曜日

KOKUBO温泉

今日は帰ったら曲を作ろうと思っていたら、チェスをやるはめに。
なかなか面白かった、しかし勝ち負けというのは虚しい。
考える体操にもなった気がする。色々もっと先読み・・考えないと・・。


今日は国母温泉に行った話。
お湯は少しヌメッとした感じで三つの風呂が熱いのとぬるいやつ。
一つは水風呂、あとは露天。
雰囲気もなかなか、イナタイ感じ。

何故イナタイか、それは刺繍禁止と書いてあるにも関わらず全身刺繍だらけの人がいたからだ。
なかなかスリリング。
結構そいう人も多いのかもしれない。

久しぶりのサウナにも入って汗をたくさん流した。
解脱。
温泉サウナをやったら新陳代謝が良くなる気がする、あと普段から暖かくなる。

あとは少し練習して、まぁとにかくやれっていう話と、うまく付き合うのが大事で。
寝起きの時練習するのも効果ありだと思う。

今日はまあ大体そんな感じ。特になし。
あと散髪したスッキリ、かっこよくなりたい。
ドンキーコングのサントラは最高。
愚痴ばかり言ってもしょうがない

明日から曲を書く、練習をしっかりする、行動する、ライブをする、
それがなんなのかよくわからんけど、とにかく今はそれをするしかないと思っている。
考えの放棄。

地道にやる。

2017年10月22日日曜日

万事おk

何かを発言するとき

大抵誰かのことを考えて喋っている、例えばあの人のような喋り方で喋る、
これを言ったらあの人はこういう風に自分のことを誰かと話すだろう。

結構他人のことを念頭に置いているのかが分かった。
ネガティブなイメージで、発言してしまう。
何故ネガティブなイメージかというと相手が良くも悪くも自分の想定外のことを発言するからだ。実際はポジティブなこともあるかもしれないが、ネガティブの力が強い。
あまり見ないようにはしている。

仕事で、対話で処世術を覚え、薄い関係を持つ。
少し喋りすぎなんじゃあないかと思う、
本音と建て前というシステムを使い分け、思った以上に人はそれを楽しんでいる。
この国だから、とか考えるけど、そいう文化が他国では違う形で代替されているのか、そもそもないのか、結局は一緒なのか、人それぞれ違うことが一緒なのか、同じであり違うのか、本質が違うのか。
他国に行って文化の違いを感じたい、いい部分も悪い部分も見えてくると思うから。
人と同じで適度な距離感を保ち続けるのかがミソだと思う。

黒い部分、執着、嫉妬、性、憎悪、暴力、裏裏、そういったことにイメージを置かない。
いいことなのか悪いことなのか、わからない。ときにエネルギーがこれらの理由で利用される芸術は摩訶不思議だ、あまり見たくない一面だ。

そんなイメージを想起させるものとは触れなければ自然と人間関係が構築されると思う。
自分も誰かにとっては弾かれる存在になっている。
そいう部分ではお互い様だと勝手に思っている。

建て前は演技。そいう技術力は高い。
ライブは演技をする、調和するともいう。
演技と調和は違う気がしてる、自然に身を任せれ状況の認知を考えなくてすむ。
そのとき無責任になれる、意識せずとも無責任のままな気もする。

そしてこれらを温泉、運動で全て忘れる。万事おk。また考えます。

2017年10月18日水曜日

ハード オフ

今日は河口湖へ用事があったので行った。

県内のハードオフを巡るのが目標で、用事のついでに行った。
まだ見ぬレアな楽器、楽器にその地域の特色が出る。またネットでハードオフの商品がチェックできるので興味があるのでチェックしてみるといい。
そのネットであったものが無かったので残念。

途中、温泉も行きたいなと思ったけど行く時間もなく帰宅。

一旦休憩してまたハードオフ、ブックオフ巡り。
本を売ったり、楽器、cdを見たりした。まだ聴いたこともない音楽がある。
ネットで出会う音楽もあるが飽きてしまう。できる限り新鮮でありたい、その状態で音楽と出会いたい。自分はそいう理由で現物の音楽を買う。
しかし果てがない。途方に暮れる。

明日はまたハードオフ、楽器屋巡って温泉に行けたらいいなと思う。
車が欲しい、あれは移動する家。

普段から書こうと思ったことをメモしてるんだけど、なんだか書く気が起きない。
メモにした時点で満足してる。う〜ん、整理がつけられるといいなもうちょっと。
そう整理という、物事を考えて解決に導く力というのが足りない気がしてる。
周りの人にできるのに自分は何故できないのか、ということをずっと考えていて、
量をこなしても、解決に導けない、なるべく反省して物事を捉えるようにする。
物事の全体をまず捉えることを意識して、量をこなす。

だから最近は効率を考えたり、簡単なクイズなどをやるようにしている。
解決しているのか、してる。してるといいな。

2017年10月14日土曜日

今日はジャズ研究会に遊びに行った。
外に出るために一応身だしなみを整えた、
北のほうに向かうと空気が澄んでいる気がする、活気がある気がする。
最近は歩いているけど疲れを感じる、それでも音楽を聴くと様々な世界観を感じながら歩けている気がする。
大学に着く、初めて中に入る。ジャズ研の部室はどこかと尋ねると誰一人として知らない。まだそれだけマイナーなサークルなのだろう。
探すと大学会館というところにあった。
道中、自分は学生気分を味わいながら空気を吸った。とても晴れやかだ。
またいろんなサークルを見て回るのも面白そう。

部室にお邪魔する、皆それぞれに個人練をしていた。
途中から文化祭に向け、課題曲を練習。部員数もある程度にいるのでこれから楽しみ。
自分も同じくらいの歳にコミュニティに参加できればなと後悔してもしょうがないので今からでも楽しもう。

最近ひしひしと感じているのがsnsが身近に感じられる方法で利用している人が多い。
特にtwitter,表現の一種として一般化してる気がする、これが一昔前だったら前略プロフとかmixiとか携帯小説とか手作りのHP、お絵かき掲示板、それぞれがまとまった感じが今のsnsだと個人的に思う。
昨日テレビで中学生が生配信してるのを見て、その迷いのなさに感動した。
今はもう生配信、youtuberが一般化してフラットなスタンスでネットに接してる。
それとも自分がまだ距離感を迷っていて、匿名性があってほしいという願望があるからか。
これはもう少し考えたい。

なぜそんなことを思ったかというとtwitterで探して見たらという道を尋ねた人から助言があったからだ、それもあるし日頃から皆フランクにアカウントを教えあったりする光景を見ると自分がおかしいのかなとも思う。ふとそんなことを思った。
あとライン、もう連絡はライン、少し付いていけなくなる、もっと人と関わっていくべきか〜




2017年10月12日木曜日

忘れるために

忘れたい、全てを忘れる勢いで忘れたい。

今日は忘れたかった、いろんなことを消し去ってほしい。
そのために日々何が自分にとっていいか探している、その手段の一つとして温泉、銭湯、サウナに行くことがある。
今日は石和に行った、この県に住みながら石和という街を一切散策したことがない。
歩いて温泉、宿泊施設が多い街だと実感した、またイナタイ感じもする。
宿泊施設に中にある温泉が多く、日帰りで入浴者も入れるところもあったが何やら物怖じしてしまいやめた。次はそいう施設の中にある温泉にも入ってみたい。
目的のところで、サウナ、水風呂、電気風呂、普通の風呂に入る。
電気風呂に初めて入る気がした、前にも入ったこともあると思うが大分前のことだ。
驚いた、肉体が痙攣して不思議な感触だった。少し苦手かもしれない、またこれから良さが分かればいいな。
サウナも久しぶりだった、多大な汗がかけてよかった、水風呂コンビも忘れずに。

快楽は、心臓の鼓動と連動しているのでないか。
温泉、サウナ、酒(苦手)、タバコ、スポーツ運動
これらは大体鼓動が早くなるにつれ、血流が加速する。その後の緩和が心地よい。
肉体にあえて、心地よい負荷をかけることで心身共に健康に繋がる。

・温泉、サウナ=発汗、発熱、心拍数増加
・アルコール、ドラッグ、タバコ=幻覚、心拍数増加? これらはあまりやったことがないので分からない。
















2017年10月7日土曜日

静寂

喧騒の後の静寂が心地いい。

愛おしい、この時間こそが本当の自分、癒し。
静かで退屈だが洗練された日々、時間。

自分の機嫌を自分で取るようになる術を意識してから、割とスムーズな心持ちになっている。
頭の中のノイズが道一本向こうで鳴ってる感じ。

ここまで来るのに一体何十年掛かってるのか。
やはり他人ができることをできるようになるのに、もの凄い時間を掛けなくてはいけない。でもコツさえ分かれば大丈夫。

今までより自分の声を聞けるようになった。具体的に何をしたいのか。
だからこれからも大丈夫、きっと好きなように生きられる。

2017年10月5日木曜日

第一水曜日定休日

温泉銭湯を巡り歩き回った話。

山の方面にある温泉に行きがてらジョギングした。
途中湯村にある湯村温泉という宿泊施設が集まった区域がある。
温泉に入れるかと思ったが、宿泊者だけ入れるらしい残念。
温泉街は寂れた雰囲気だった、昔は繁盛していたのだろうか。朽ちた看板、葛飾北斎が描いた温泉!という謳い文句が印象的だった。
まぁ甲府も同じで朽ち果てて行く一方だ、同じ雰囲気を感じて少しゾッとした。
またここでも空き家が多く見られた気がする。

歩いたり走ったり自分のペースで進み、少し肺活量と足の可動性が安定したと感じた。
これからも続けて行きたい。

到着したのはいいものの、休みだった。
定休日は水曜日と書いてあったものの第一水曜日だと知らなんだ。
そこから下り、違う銭湯に行こうと思って行く店大体休みだった。
最後に行った銭湯でお札で入場料を払おうとしたら釣り銭がなく、崩してきますと行って店を出た。なんだか神に帰れと言われてるみたいで心が折れた。
何だか15km以上は歩いた気がする、疲れた。自分は何をやっているんだろう。
いい運動になったと前向きに考える。帰りにあっさりした醤油ラーメン大盛りを食べて良しとした。

銭湯は第一水曜日定休日が多いことを学んだ。


その後疲労感がすごくて、軽く解脱(なんだかフワフワした感じ、周りの中で自分を認識できる感じ、温泉に入った感じ、こいう解放された気持ちよさみたいな
言葉があったと思う)したようなトリップ感を味わえた。

時々は激しい運動をすることで脳にノイズ、煩悩をなくすことができる。
すごい。











説明を追加



2017年10月3日火曜日

温泉 銭湯

眠れないので書きます。

温泉についてネットで色々調べてみた。
自分は温泉と銭湯の違いをわかってなかった。

◎温泉◎
天然(自然の恵み)。誰も入らなくてお猿が入ってても温泉。
温泉源の水温が25度以上で、国で決められた温泉の温泉法の指定成分19種類のうちどれか1つでも規定以上入ってれば、
その後温泉源の水温より冷たくても温かくても温泉といえる。

◎銭湯◎
人工的。お金を設ける目的。お客を呼ぶ施設。経営者がいる。
水道水を使ってわかしたお湯を使っている。

また甲府の銭湯は大体温泉らしい。
ありがたいことだ。甲府にいて誇らしいことの一つになった。

またいろんな人のブログを見てると山登り、宿泊と関連して温泉が出てくる。
山登りにも興味が湧いてきました。これからはいろんなところに行けたらいいなと思います。



2017年10月2日月曜日

共感性羞恥

共感性羞恥とは
他人が恥をかく、叱責される、失笑を受ける、非難される・・・・・などの光景を実際に、あるいはドラマ、マンガなどを通じてみたときに、まるで自分がそれらを受けているように動揺、委縮し羞恥心を感じる現象

今日知人から話を聞いて、共感性羞恥というものを初めて知った。
それを知人は持っているらしい。
共感性羞恥を持った人は多いのではなかろうか。
特にステージで表現をするということは恥をさらすことなので、この問題と直面することが度々ある。恥ずかしがっていては表現はできない、非難されるから・・・表現をしないということがあっていいか、生きる行為を否定される感覚に貶められたしても、やめるやめないは自由だし、そういった環境で受け入れられなかったら違うところを探すべきだとも思う。恥の文化は勝手なことしか言わない、どうでもいいことだとも思う。

経験から羞恥心を感じてしまうのか。
行為が恥と感じる要因を経験から導き出す客観視が入っていると思う。
メタ認知が行われ状況を観察し、身の危険を回避できる能力だ。
知人は共感性羞恥を感じてしまったらドキドキしたり、テレビを見ている時にチャンネルをすぐ変えてしまうらしい、お笑いや素人系のエンタメバラエティなど。

よく言えば現象に共感させるだけの力があり、体感したものは感受性があったということ。

なにが恥ずかしいんだろう、表現の種類、それは好き嫌いだと思う。
疑問なのは素人系のエンタメを見ると恥ずかしいということ、それは生身の感情が見せられてる感覚なのかもしれない。
知人にとってはやめてくれという感覚になるといっていた。これはある状況から恥を想起してしまうその人の心理
だと思うので共感性羞恥は十人十色ということだろう。知人にとってはそれが恥ずかしかった。

共感性羞恥の共感も千差万別。多分ずっとつきまとう。

2017年9月29日金曜日

ジョギングして銭湯へ。

身体的に疲れた。体力は落ちたことを実感。
コンビニでクールダウンしてると顔のあたりが痛くなった、血流が急に流れたせいか。

そのあと銭湯に行きまったり。
サウナに入ろうとするもルールがよく分からず断念。

サウナと水風呂入りたい。



2017年9月28日木曜日

理解するためには

今日は一日中ダメだった。
怒り狂って人に当たりそうなのはなんとか耐えて無言で過ごせた。


やっとブログが書けるような状態になった。


今までやったもの
歩く 腕立て伏せ


少し調子がよくなった。
やはり運動が自分の調子を良くする。ただし歩くのは慣れてきたせいかダメだ、明日からは走る。


気持ちが落ち込んだときは、やたらと負の連鎖が起こる。
嫌なことを思い出したり、自分を痛めつけたり良くないことばかりだ。
そいうときは何かのせいにする、雨のせい、疲れてるせい、生活の乱れ、それでもイライラするなら運動か睡眠だ。


何なんだろう、怒りはよくない、どこから来るのだろう、急に、怒りにムカつく。


そいう怒りのメカニズムを理解するのに時間が掛かる。
怒りは放置か、運動で紛らわす。


無意識のうちに何かをやってしまったり、主義主張が変わったり、そういった生理が他人にも自分にも常に巻き起こってるならば、せめて自分だけでも余裕をもって、日々構えてなければならない。


一つ一つ何かを理解するのは、人から教わって自分で理解するための前段階として心体が健康でないとダメだとおもう。


機嫌が悪いから今日は勉強しないなんてことが日々あったら、理解することをずるずると引き摺ってしまう。
これは他人にも自分にも言えること、これから話を「教える、教わる立場」ということにフォーカスする。


自分はよく他人の言ってることが理解できない、例えば「スピーカーのそこ持って、」と言われるしよう。
どこなのかわからない、恥ずかしいことに。取ってが付いてる部分なのか、底なのか、一方の手で別々のところを持つのか。
なんでできないのとか、なんでお前はできないと言われたことがフラッシュバックしてくる。
このとき重要なのは教える側は怒らないこと、怒って相手の意欲を削ぐのはよくない、訊いて怒られるだったらやめようと思ってしまう。そいうメンタルでもある。
最初は分からなくて当たり前なのだ、また抽象的なこと(自分にとって。他人には具体的かもしれない)を理解する力が自分にはない、学習能力、反復がない。
そんな気持ちを引き摺ってまた同じことをやってしまう。




また今度は教える側が誠意をもって教えたとしても、教わる側が理解に努めなければ意味がない。
これがどいう仕組みで成り立っているかを、自分で考えることも大事。
また相手の立場になることも大事。


難しいけど、それらって自分にとって知らないこと、苦手なこと理解するときっていうのは、
なにか嫌悪感みたいなものが働いてしまって、できない=自分は理解できないというの気持ちになってしまうんだとおもう。


これは教えるほうにも問題があるのかもしれない。その人に怒られるのが嫌だといった生理的な問題もあるし、
教わる側の積極的な自立した理解がなければ知識、知恵の教授というのは難しい。
教えてもらったら体に染み込むまで反復。


また理不尽なのか、相手が正しいのかわからないときもある、あとから考えれば考察はできる。
段々とタイプというのも分かる。性格と内容、自分の意欲を天秤にかけ、日々教わり、教えコミュニケーションする。


心体のバランスを日々保ち、生きる。それが自分の目標。




それでもやっぱり難しい。まずは走って。







2017年9月25日月曜日

自分を認める

毎日機嫌よく過ごしたい。

毎日機嫌よく過ごしてる人はいるのだろうか。

くだらぬことで毎日イライラしている。
ふと訪れた安堵や静寂を感じて、どうして忘れてしまったのだろうと思う。
今日は自転車を漕いで汗をかいて午後の紅茶とコアラのマーチを摂取したら落ち着いた。
阿呆らしい、何にそんなにイライラしているのか自分でも分からない。

日々それを無くそうと努めているのに何をしたらいいのか、途端に分からなくなる。
今は完全に一人で、落ち着いている。
この感じは前はなかった、この数年で一気にきた。

呆然としてしまう。
悲しい、辛いといったことが他人にとって見ればひどくくだらないことなのかもしれない。
その時の自分の状態で幸せを決めてしまう愚かな人間、だと思う。

ただ闇の中をひたすら漂う感覚は終わりにしたい、消えてほしい。
頼むからやめてほしい。


今は大丈夫、

多分必要なのは
運動、睡眠、食事だと思う、今は。汗をかけ。

いや、あと認められたいと思う。飽くなき承認が自分を強くすると思う。
自分で自分を認めてあげよう。頑張ったって。半々のバランスで自分と他人に認められたい。
今日はイライラに打ち勝った日だ、人に当たらなかった日。大丈夫。

今自分は落ち着いていて、大丈夫。不安はない。

だから明日も、これからも落ち着け。
まずリストをかけ、やることをかけ。運動しろ、他人に認められたかったらそれをしろ。
自分は簡単なことで自分を認めてあげられる。まず最初の土台は自分だ。
他人に対してはフィルターをかけろ、別世界だと思うんだ。

コミュニケーションはそれからだ、自分を自分で認めてから積極的に関われ。

見失うな、迷うな、落ち着け、大丈夫だ。




点検

日々具体的に、書くことを目標とする。

障害の本を読んだ。
これは突き詰めるとどのような人間も障害を持っており、
自分もその中の一人だということが分かった。
病院に行って診断してもらえば自分の正体が明らかになるはず。
だから行く。頑張る。

日々見方を変えてみたり、生活習慣を変えたり、食べるものを変える(これはやってない)
といったことをしても、根本がおかしいのであればどうしようもない。
それをすこしでも周りに理解してもらい、できるだけ共存できたらと思う。

もう誤って無駄に何かを削ることはしたくない。
自分が何者であるか、証明したい。そして、できれば認めてほしい。


機材の点検。

シールドの断線チェック、自作のエフェクターの修理、
もはや面倒になって色々忘れたりしてるけど、整理を始めたから再び取り掛かる。
思い出のエフェクター。

電気はめんどくさい。回路、パーツも揃えないと。


2017年9月22日金曜日

散歩→徘徊→ドライブ

今日も歩いた。

中心にいると気が参るので北の方に行って見た。
空気が少し良い気がする。
ジェームスブラウンを聴いていた、ファンキーで爽やかな気分だった。

学生寮や食堂、不思議な境内。
入ったことのない路地、育った町なのに知らないことがたくさんある。

もっと誰かと一緒に散策できたはず、もっといっぱい遊べたはず。

この町を、知らない人に紹介するとき何も知らないことに気付く。
今まで何をやっていたんだろう、よく思う。

歩くと無意識に情報が飛び込んでくる、鬱陶しい。
何も考えたくないから歩いているのに。


久しぶりに車を運転した。
音楽を聴いていた、良い音楽だ。
どこにも行くところもない、あてもないドライブだった。
何も考えていないようだ、ただ走らせた。
本当はどこかで何かを見たいのかもしれない、夜景を、映画を、喧騒を、見たいのかもしれない。
分からない、ただ不安感が押し寄せるばかりだ。なんでこうしているのかも分からない。
何もやる気が起きない。空虚のような、それでいて徘徊する元気だけはある。
何をやっているんだろう。

ただ眠りたい、眠らせてほしい。

歩いて汗をかいて運動したし、陽の光も浴びたはずだから眠れると思ったけどダメだ。
もっと走った方がいいのかもしれない。ちゃんとします、明日から。

焦燥感が、落ち着きがない、もっと余裕あってゆったりしたい。
失敗の場面ばかり想像してしまう、ダメだ。

もう少しで、前を見れる自信がつくはず。


2017年9月21日木曜日

散歩

今日はずっと歩いていた。

甲府は古い建物と新しい建物が共に健在して珍しいと訊いたこともあった。
歩いてみると確かに赴きある建物、誰が住んでるか分からないような朽ちた空家,
神社、寺
線路に面した部分にも数多くあった。

なぜだろう不思議だ。
あと寺の近くには、神霊波?という何か怪しげなものをビジネスにしていたものもあったのでビックリした。

最近は歩いてもただ疲れる。
なんでだろう。

誰にも会いたくない、どこか自分を受け入れてくれるところを探している。
日常を、常識を抜け出す。

こいうときでも自分は物語の中にいることを忘れない。
様々なアングルで、音楽が流れ、誰かに見られている妄想を忘れない。

被害妄想。

普段から行動するのに誰かの目を気にして、どうしようもない気持ちになる。
そいうときはこの妄想をする。
自分の行動が肯定されるような気になる。

映画、ドラマ、物語が承認されるものとして、認知されやすいから?

とにかく自分は淡々とそいうことをすることで自分が一貫した人物であることと、
自分が認知できる。かもしれない。役割を自分で作れるのかもしれない。

これはメタというもの。
あまりにメタを頻繁にするとわけわかんなくなる。

ある人から見れば滑稽、美しく、かっこいい、ダサい、なんとも思わない
自分の行動は様々な見方を含んでいる。

気にしてもしょうがないので結局どうでもいい。


歩けば、陽の光を浴びれば、寝れると思った。
だけどだめだ、もっとちゃんと運動しないと。

睡眠薬というのはちゃんと診てもらって処方してもらうものらしい。
何か気軽にできるものがあれば知りたい。

何かをするまでに多大な労力が必要。何もかもめんどくさくなってしまう。
でも少しずつこなす、なんとかこなす。

攻殻機動隊、千年女優を見た。
面白かった。
これらもメタを含んでいるのだろう。

もう頭のなかが、、、メタメタ、、、、メタ、、考えるのをやめる。

最近は身だしなみを整え、無駄な毛は剃ってなるべく人前に出れるようにしている。
なるべく煙草も吸わない。

これらは最近大丈夫。

自分の中の最低限なラインを維持して、あとは人の意見は無視する。
髪を伸ばした。明日はどこか遠いところに、誰も知らない所に行きたい。

自分が良いと思えるものを具体的に掴んで行きたい。


最近、上昇、していくことが幸せなのかなと疑問に思う。

何が上昇なのかよく分かんないけど。
地位、名声、金、競争で生む幸せもあると思う。相対的なものに近い。
自分がこれをしているから幸せなんてものはあるのか?


自分は無色透明になりたい、学校を抜け出したお昼時間のような、陽だまりのような、
そんなような場所で、孤独にとらわれず、そんな空気を味わっていたい。
相対的かもしれない。

無かもしれない。


幸せは、相対的、絶対的のバランスなのかもしれない。

2017年9月19日火曜日

自分の生き方とバンド。

バンドは一つの社会だと思う。
個人の欲求を満たすためのものでもない。
共同作業。運命共同体と冗談で言ったりもする。

繊細な技術とコミュニケーションがバンドと文化を作る。
そんなことをして利益を生む。

お金と

2017年9月13日水曜日

スタンダードを覚えられない、覚えないといけない強迫観念、譜面をろくに追えない。

今覚えているもの
ニュアンス、ギターにおいて全ポジションで弾けるか、ノリができているのかというのは除外して、今自分がなんとなく弾けるというレベルです。

All of me.all the things you are.alone together.autumn leaves.bags groove.bilies bounce.days of wine and roses.donna lee. Feel like making love.in a sentimental mood.there will never be another you.

練習中(うる覚え)
All of you.cantaloupe island.caravan.cherokee.chicken.confirmation.fly me to the moon.girl from Ipanema.have you met miss jones.how insensitive.i mean you.i ll close my eyes.it could happen to you.my favorite things.old folks.orinthology.round about midnight.stella by starlight.

50にも満たない。

また
特に練習中のものはどいう方法でアドリブを取るのか、曖昧なものが多い、これもまた一つ一つこなしていく。
アドリブはコピーとフレーズとスケール、ノリ、リズム、ハーモニー、感覚、の結集だと思う。
分からない進行があれば、また分析しなければならない。
どのような言語で会話が行われているか知る。
特にキーがよく変わる曲には注意だ、アッパーストラクチャーな進行も聴き込み、コピーがまだ足りない。
ハービーハンコックやウエインショーター、コルトレーン、モードな語法も知らない、またデュークエリントンなどのナンバーも。

黒本に載ってるスタンダードはそんなところじゃなかろうか。
詳しく言うと果てしないけど、思うにそんなところです。コールポーターとか、パーカー、ディジー、マイルス、ストレイホーン、ビルエヴァンス、ビクターヤング、ソニー、ストレイホーン。ガーシュウィン。モンク。ゴルゾン.ジョビン
あとは知らない、知らないことが多すぎる。

またこれらをどんなテンポ.リズム.キーでやるとなると途方もない道のりだ。
とにかくその場で応用できるか、日々いろんなことをチャレンジすることだ。

自分はリズム感がない、体の中にできていない、根本的な部分がダメなのだ。
だからまず基礎としてそこを作っていく。
またとにかく早いテンポ、遅いテンポというのは苦手だ。もっと感じられれば、遅い中でも早く、早い中でも大きく捉えられるはず。

練習は根気のいる地味で楽しいものだったり、アレルギーを起こしたりする気をつけよう。



感覚を表す言葉がない、ということ。


聲の形というアニメ映画を観た。
現実はこのように綺麗な音楽があり、整理された演出はない。
家族が映るシーンで、自分も家族と接するとき映画のように俯瞰してみたりした。
もしかしたら自分は思ったより平和で幸せなのかもしれないという安堵感があった。
映画と同じように綺麗な音楽が流れ、まるで映画の中に入り込むように現実を捉える。

そうすると、少し楽しくなるのかもしれない。
まるで主人公。

映画自体は良かった、面白かった。
自分もなんとかして行動せねばとも思った。

表現は恥ずかしい ということ。

なんにして心を覗かれる感覚、そして批評される。
人前で恥ずかしいことはしたくないくせに、何かを見せたがる。
自慢のような、それでいて人間性を否定されたくない。

自己顕示と羞恥心を持ち合わせた矛盾。

テクニックをつける方法は数多くあれど恥を克服することにあまり重点を置いてこなかった。
中途半端に恥ずかしがっていては伝わらない。
恥ずかしさを取り除くまで掘り下げるのだ。

場数を踏んで恥をかいて、習得するものもある。

落ち込んで、立ち直りを繰り返すしかないだろうか。

日々、自分は自信をつけたいと思っている。
そのためなら頑張ろうと思う。結局その辛い→落ち込み→立ち直るのプロセスか。

上昇志向に呑まれない、当たり前のことだろうが、押しつぶされない。

テクニック、自分を表現できる諸々の技術が備わったら、あとは自分をさらけ出す。
裸を、こいう人間だということ。
自信、自分に酔って。

面白い→おかしい、変、かっこいい、かっこ悪い、気持ち悪いetc
なんらかの感動を与えるはずだ。

2017年9月12日火曜日

混雑

タバコと酒の匂いが立ち込め、明け方に近づいたとき、目の下に隈が現れる。
自問自答が始まる。

最近は承認欲求の満たし方(誰に、どのように満たされたいのか)
ポジティブ、ネガティブ、は幻ではないか?
人と関わるとろくなことがない

サックスの良さ、ネットの告知、nhkの無機質 ありがたい、音楽何度も救われる、どこに自分の音楽を持てばいいのか、ボーカル、練習進めるということがテーマ。


まず自分が思うのは歌が歌えた方が何事も便利かもしれない。
楽器というのは人間性の占める割合が物によっては大分違うかもしれない、作曲するにもイメージするのも自分から発せられれば楽器を持たなくともできる(自分の中に音程、リズム、和音をイメージできるようになるには、また訓練が必要)

また自分のイメージができあがってないと、楽器で演奏するのにも適切な表現ができない。
だからひたすら、自分に仕込む。

また歌えればストレス発散にもなる、音痴だけどまずは自分の音程と他人が聴いたイメージと擦り合わせる訓練だ。
自分の恥ずかしさとの闘いだ。なんで恥ずかしいって思うんだろう。
恥の文化。

また表現したいものに歌がある、ある場合はやるしかない。
なんで楽器なんだろうと思う時もある、アレルギーを起こすこともある。

そんなことは全てどうでもいいのに自分は何を言ってるんだとも思う。


あぁ疲れたな、休みます。

2017年9月8日金曜日

承認欲求 満たす

厄介な承認欲求。

沸々と出てきた、忘れていた。
今日も思い出し、自分を褒めちぎる。

練習した、なるべく怒らなかった。運動した汗をかいた、曲を作った。
ご飯を食べた、風呂に入った。話を聞いた。

良くやった、こんなに頑張った自分は偉い。
凄い、凄いぞ。凄すぎる。お疲れ様。

疲れたときいいのは運動、休息、気分転換(いつもと別のことをする)

自己承認したら気分いいか?多分マシになった。

2017年9月6日水曜日

暴力

最近日記を書くことがストレス発散となっている。


今日は暴力について考えている。
何らかの暴力に晒されたら辛いし、泣くし、惨めだ。
喧嘩、暴力は結局のところは死ぬか生きるか、という問題だ。


それに比べれば、日常の些細なことは問題ないことにはならない。
暴力に晒されたら情けなくても逃げる。
言葉、身体的な暴力、我慢してもいいことなんてない。
耐えられるはずがない。


この世界にはきっと生きていける場所があるはず、だから探す。それには痛みがときに伴うかもしれないけど。
それでも、きっとあるはず。何十億って人間いるし、今まで出会った人間てどれくらいいるんだろう。
小学校の時点で1クラス40人で大体一学年二組、それで6学年×80=480,また6回繰り返すので2880人、先生も合わせると2952人。友達の親御さんとか親戚とか含めると凄いな。それは省いて。


中学もあわせると3672、高校も含めると10000万人以上出会っている!合っているか知らない。


それほど出会っているのにもどうして今、会っている人はいないのだろう。


今はいまでもう十分に恵まれている。 これでいいのだ。音楽とそれに向かい合う人がいて、ときに仲良く。それでまたぶつかって。


ただ依存しすぎるのも危険だ、バランスを大事に。もう一つ、欲しい。


感情が切なく、どうしようもなく相手に共感してしまわないように、それは飽くまで他人だから。
他人は変えられないのだ、対話を繰り返しても変わらないのなら自分が変わればいい。
また怒ったりしているときも、辛いんだなと許せる心をもとう。自分もすこし甘えられる人を探そう。
ようは楽に都合よく生きたい、そんな都合よくいかないけど、それでも可能な範囲でそうしていけたら。
これを突き詰めると人に会わないことになるけど、そうじゃなくて。
違って当たり前で、違うならそれはそれで可能な限り、そうなんだくらいの見積もりでいればいい。
それでもぶつかってしまうときもある、けどなるべく減らす。


音楽はいい世界だと思う、夢のような世界だ。
ただ飲み会などはもの凄くエネルギーを使う、あれは実際飲んでいるようで気づかい合戦だし、
何かを話すのは混沌としたものだったりする。自分は酒飲みではないし、役に立たない場合が多いので疲れる。
また変に感情がおかしくなる。


皆はそれがストレス発散で、自分の場合はそれがこのブログなんだろう。
音楽を集中してやれているとき、何も気にせず何かに打ち込めているとき、それが楽しい。
いつか自分がなにかパーティなど主宰できたらいいな、自分はなにもできないけど計画だけするひと。
楽だし。


24歳にもなってこんなにもできないこと、知らないことがあるとは思わなかった。
昔から落ちこぼれだったし、、それでも大人になれば勝手に何か身につくと思っていた。
とんでもなく馬鹿だ。いまでもどうしてんなんだろうと嘆いてばかりいる。
考えるまでに至らない、解決したのかどうかもわからないので、いまでは何かふわふわとした中途半端なところにいるような気がする。ぐちゃぐちゃみたいな、そのときはいろいろ解決して答えが出た気がするんだけど、すぐ忘れてしまう。


みんななんでそんなに生きているんだろうと思う。
どうしてこんなにも違うんだろう、と思う。まぁしょうがないなと思う。


今月から、来月くらいからとにかくライブをできたらと思う。
自分の作った曲やいままで慣れしたんだ曲を演奏できたら。
いつか自分のバンドも組みたい。


言葉で伝えないとだめだと思った。
だからこのブログを始めた、だけど言葉は難しい。
何より気を使わないといけないのは言葉じゃないのかと思ったりもする。
言葉が、分かれば伝達手段が発達してより人に伝えられるのではないか。


人の種類によっては、使う言葉の種類、歴史、文化、体系が分かればもっといろんな人とコミュニケーションができるはずだ。
関西弁、甲州弁、沖縄、東北、九州、ギャル語、若者ことば、時代によって流行った言葉。


そんな人がいるのかな、もっと勉強したい、もっと分かって分かりまくって自分の馬鹿さ加減が普通になったらいいのに。もっと常識や試練に耐えられる人間だったらよかったのに。











2017年9月5日火曜日

整理

いま整理をしている。




聴かなくなったcd達を。
今はほとんどネットで聴けるようになった、様々な手段があり楽しむ方法があっていいと思う。
普段耳コピなどは動画で済ませてしまうため、音だけと向かい合うことも必要だと思う。
自分にとってはこれ以上目が悪くなっても困るし。全て体に入ったら手放すとき。


ただこれからやっぱりcdで聴く機会は半々だ。
今でもcdプレイヤーで聴くこともある。何よりジャケットで「今日はこれを聴くか」となんとなく思うときもある。


結局は音なのだけれど、物理的に音を所有することで得られるランダム性がある。
自分の想像とは違うものがあったりする。




ラジオもそれに近い。




一方、ネットではYouTubeで簡単に探して聴くことができる。
youtubeも日々おすすめコーナーで出会う音楽もランダムに出会いがある。
しかし目的を持って音源を探さないと無限に彷徨ってしまう。
歴史的に文脈を追って聴く分には便利。
細かい部分や、音質、生の実感などはお金を払って手に入れる。無料な部分で楽しめるならyoutubeでいい。


どこに重点を置いて、価値を持たせるか。意味があるようでない音楽、芸術。ひどく曖昧だ。


それでも音楽を聴けば、不安、高揚、嬉しさ、悲しさ、憎しみ、思い出、落ち着き、楽しさ、感動を感じられる。
忘れていた、まだ感じたことのない気持ちを感じることができる。
それを誰にも迷惑をかけず、自分だけの世界で感じることのできる音楽は贅沢なものじゃなかろうか。
またそれを他人と共有できるのも醍醐味。どちらも良い。




本も整理している。


いろいろ買ってきた。
コミュニケーションに関する本や自己啓発は基本的なこと、元気で清潔感ある人間としての基本、常識。
ただそれを求められると萎縮したりやっていけないことが多い。
また思ってる以上にうまくいかないことも多いので、自分は役に立たなかった。
思っている以上に混沌としてる。人間向き不向きがある。
うーんやっぱりどうだろう、「常識」として捉えておく分には読んで損はなかった。いつの日か役立つことを願う。




うつに関する本、これもよかった。いろいろな本を読むと大体、
寝ろ運動しろやりたくないことはするな何が目的か と言った類だ。


自分はこれらは読んで直せるものなら直してみようと思う。
矛盾かもしれないけど、いろいろと割り切って自己中心的になることが大事だ。
目的によって自分が幸せなら。
本当に。
根拠のない自信があれば、良いのかもしれない。意外と根源的なこと、で持つことではないところからどう自信をつけるのか。
見方が豊かであればそうなるのかもしれない。
なんらかの自己肯定感がある。まだわからない。でも自分は大丈夫だと言い聞かせてみる。




音楽は上手い下手ではないなと思う。
様々な世界があると思うが、なんで感動したのか?分析できる審美眼を持つことが大事だと思う。
自分はこれが好きという、それを表現するための技術。


感情が揺さぶられる、だけども音は音だ。
思い出は思い出だ。これからだ。





2017年9月4日月曜日

欲求

「みんなどこにいるのだろう」とつぶやいた物理学者。

今同じ気持ちだ。
会っているはずなのに、今まで会ったことがない人々。
同じ場所にいるのに会えない。

どうしてなんだろう。

なぜ、どうしてばかりが口から出るんだろう。


どうして音楽は難しいんだろう。
難しいと思うから難しい。どっちでも良い、気分。
自分は一体どこにいるのだろう。

前向きな気分になったり、繰り返す現象は大分掴めてきたけど、それでも夜が長い。
一体何をしたいんだろう。

そればかり。

寝れば直る。

それでも徹底的に向き合えば自ずと答えは出るだろう。
何度もこれから先も、プラネテスの主人公ハチマキのように。

でも意外と答えは簡単で寝て、食って、運動して、気分良く日の光を浴びれば気持ちが幸せだったりする。

たまに、よくやってるよ、とか、ねぎらいの言葉をかけられるとあたかも自分が正当な社会の人間として活動してるかのように見える。

実際はそうではない。ただに好きに生きているだけだ。
世の中から見れば窓際の人だ。

でもどこからどこまでが?ボーダー?
適応能力を持ち合わせていれば?

ではない人は?そこを模索していくしかない。

あなたは二度と孤独になれない という歌詞がある。

なれるはずがない。寂しいから。
何かもバランスよく保つのが自分を保つには必要だ。

寂しいから会い、疲れたら一人になる。


ものを作る、楽しさ。闇に呑まれない、体の不調に呑まれない生活を送りたい。
誰のものでもない自分の生活だ。

自分にとって絶対的な幸せなんてものはあるのか?
快楽なのか?芸術なのか?

人間に生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求(帰属欲求)」尊厳欲求(承認欲求)」「自己実現欲求」があるという。それらを越すと自己超越なんてものもあるらしい。

まずは生理的欲求を毎日普通にこなせるよう頑張ろう。

何かをするにしても常に欲求が付きまとう、それらを振り払うためにも欲求を満たすことが大切。


2017年9月3日日曜日

宇宙生まれ 地球育ち

今日は宇宙の本を読んでいる。

東京に遊び行ったとき、暇つぶしに買った本だ。
「ますます眠れなくなる宇宙のはなし」という本。

これは良いぞ、宇宙は良い。人類の英智を持ってしても、途方もない労力を掛けても、圧倒的なスケールが宇宙には広がっている。

水の惑星かもしれなかった火星、まだまだ未開拓な火星まだしも地球のことも知らないことがいっぱいある。
地球の生態と関連づけて、他の星を仮定して行く。
もしかしたら・・・そんな希望を抱いてるうちに自分の一生を終えてしまう。
約50億年後には地球は生命が存在し得ないこと、人類は宇宙と地球が生み出したものかもしれないこと、というかまだほとんど分かってない。

ああ、宇宙のことを考えると途方もない気持ちと、なんかどうでも良いと清々しい気持ちになる。

その圧倒的なスケールに夢が膨らむ。ロマンがある、全てを注ぎ込む価値があるのではなかろうか。人類はまだ圧倒的な犠牲が必要なのだ・・・

しかし全てを知ろうとするのは無理だ、それでも知りたいと思う傲慢さをもつ人間がこの世にいるのだろう。そんな人がいるならいつの日かお会いしたい。

疲れたら宇宙のことを考えよう。


見た目の問題。

自分がもし人によってはひどい格好でコミュニケーションに問題があるとするならば、どうせなら整えてコミュケーションを円滑に進められればお得だ。
見た目、服、というのは他人を開く鍵だ。と昔思ったのを思い出す。
でも気にしすぎてもいけない、他人はそんなに興味を持ってないという開き直り理論が大事だ。
いつ間にか、見た目で自分と同じか種族なのか判別しているのかもしれない。

匂いもたくさんある、いろんな匂いに出会いたい。忘れていた匂いや、良い匂いに。

それに疲れたら宇宙のことを考えよう。




2017年8月30日水曜日

東京 不甲斐ない

今日は東京に出掛けた。


電車に乗り慣れてないので連結部分で居座って行こうと思ったが、
日頃の倦怠感からくるものと、適度な揺れのおかげで少し酔った。

ここ最近気持ち悪くなる、少し乗り物恐怖症かもしれない。

そのあとは八王子で降りた人の椅子をゲット。安堵する。

ボーっとして風景を眺めていたら、少し寂しくなった。
この漠然とした不安のような気持ちはなんだろうと思いながら新宿に到着。


東口はどこだ、a9はどこにある、真っ直ぐ行って右に向かったけどないぞ、
俺にとって右は?真っ直ぐは左なのか?

結局二時間掛けてディスクユニオンに辿りつく。方向音痴。自らの空間認識能力はポンコツだと落ち込む。係員さん、ありがとうございます。
なんかこいう部分がダメなんだよな〜と思う。他人といたら迷惑を掛けてしまう。
ちゃんと人の話を聞くという前提がダメなのかもしれない。携帯も通信制限で動かず。
まぁ計画はしてないし、次はちゃんと準備する。
しかしもし他人といたら叱責される絵が浮かぶ。ごめん。

ネットで探した方が安いし、効率がいいと思うんだけど色々細かく調べて買うのがめんど臭い。
今回はランダム性をもたせつつ、コンテンポラリーやワールドミュージックの主軸となっている音源を手にいれるのが目標。コンテンポラリーを重視。今まで自分が見た情報が鍵となる。

ディスクユニオンに辿りついたことでもう達成感を得て満足してしまった、実際購買意欲が不思議なくらいない。自分の目的はディスクユニオンに行くにすり替わってしまった。
本当はそれくらいしか考えてなかった。

しかし色んなコーナーを見ると、地元にはないあれや、これ。
当たり前だけど、やっぱり地元には普通ないものがある。感動する。
需要と供給が揃ってる街。

今度は段々と音楽に酔ってきた、段々と物欲も減ってくる。
買おうと思っていたものがあったはずなのに、なんでここにいるんだろうという気分になる。
買い物は打ち止め、ブックユニオンに行く。
ここも音楽関係なんでもある気がしてくる。

ディスクユニオンには各店舗あるらしくジャズ館に向かった。
新譜の宝庫だった。もう物欲は無くなっていたので何も買わなかった。

しかし今ではcdを買いに来たのか不思議なくらい『なんで買ったんだろ・・・』と思った。

それは口実で、生活リズムも直したいから運動がてら来たというのもある。
日の目を見ない生活、さよならだ。しかし暑かった〜。

段々何も考えられなくなって、帰ることにした。

もっとライブハウスとか行けばよかったな、なんか美味しいものも食べて見たいし。
次はもっと計画立てて行こう。遊び方っていうのがイマイチよく分からないな。

あとやっぱり人多い。なんか凄い虚しくなった。
もっと知れたら楽しいんだろうな〜。





2017年8月27日日曜日

憧れ 都合よく生きる


憧れはなんでも突き破る屈強な男と、包容力のある女性。

弱っているときに聴く音楽はどうしてあんなに効力があるんだろう、
淡々とした静謐な音楽、厳かな。
素晴らしい。
ラベル、ドビュッシーの曲たち。

無垢な歌声、恐れがない歌声どれも素晴らしい。
表現は地平線まで広がっている、或いは地下や海や、宇宙か。
無限、偶然、必然の中から選び取り、限定的に作り上げたのだ。

俺も選ぶ、もしくは選ばれる。

その人の努力がわかる、屈折、真っ直ぐ、それぞれに変容した思想がわかる、気がしてる。

業界、社会の常識、概念から解き放つ、自分だけの生活を表現したい。

社会と一体化することは無理だ、それはわかる。

繰り替えし、自分が騙してる。何度も同じ過ちを繰り替えしてしまう。
幸せを感じるか?感じるなら進む。

たまにふっと来る安堵に騙されるな、問題は他愛のないことだ、ほんの小さなことだ。

幸せは寝ること、アイスを食べること、街を歩くこと。
嫌なことは、圧力、ネガティブなこと。

気分が良くなかったので歩いた、良い気分だ。気分が良くない時はぜひ無理矢理にでも自分のペースで歩いてほしい。
そして人に会ってほしい、自分の居場所を見つけてほしい。
そして自分のペースで別れたり、繰り返してほしい。その循環が心地いい。

ここにいて良いんだという自信が必要。

2017年8月26日土曜日

生き方


もっと色んな人の生き方を知りたい。
その中から自分に合った生き方を見つけたい。

たまに自分にどうしても合わない局面がある、それは自分で無くなる時だ。
様々な場面での苦難をなるべく避けたい。

それが具体的に分かるまで時間が掛かりそうだけど。
本当はもう分かっているかもしれない
向き不向きがどうしようもなく存在する。
それはしょうがないことだ。

嫌ならやめろ、とか、好きじゃないことはやめろとかはまぁ当たっている時もある。
耐えて耐えて何かを為す、自分が本当の目的になっているかが問題だ。

上昇志向や、他人の言うことに呑み込まれないことが大切だ。

あと自分は飲み会など多数と話すのが苦手なのかもしれない。
うまく説明できないが、
試されているような感じがある、
うまく説明できないがそんな感じだ。自分が勝手に思ってるだけ。
寄り添えるぐらいの距離がちょうど良い。

影や裏や闇を見過ぎないことが大切だ。

そこら中に広がっている、そして自分がそう感じたならその場から離れるよう。
陽の当たる方へ行く。そしてまだ底なしの闇でなく、必ず明ける闇に身を預けよう。

2017年8月25日金曜日

難しい

この夏、曲を書いて少し周りの音に意識が向いた。
今までは口頭やらで周りの音を聴けと言われたりしたけど、実際に他の楽器を体験した方が分かりやすい。

想像が広がる。

アイデアを全て曲にできるのか、どうか。即興的に演奏できるか。
まだまだ音楽を理論的に知っているわけではないし、既にある知識を体現できるわけでもない。

長い道のりだと思う。
色んなことがあって音楽が嫌になることも多いけど、多分これからもある。
音には何もない、罪もない。全て感じ方に決まる。
人間的関係はテーマである、難しい。また相互作用をもたらす、それが音に出る。
難しい。ただ自分が思うように表現できれば大体は解決するのではないか?自分の問題は。しかし他人と何かをやるのはなんにせよ難しい。
難しい。

いつになれば思うようにできるのだろう。
現実は難しい、思うようにはならない。

自分には圧倒的な他人と分かち合う共用できるものが少ない。
だからこそ日々めげずに一つずつ、他人から見れば遅くともこなすしかない。
あまりにできなさすぎて、辛い時もあるけどしょうがない。
やってこなかった罰だ。

大丈夫、できる。できる。
音楽に祈る。

曲を作る際に歌を入れて見た。ミックスとかのバランスはまだわからない。
ずっと歌いたかった。だけど自信が無いので全然ダメだった。
気軽に喋ることができない。もう煙草と運動不足で肺が苦しい。
なんで歌に対して、喋ることに対して、自信がなくなってしまったのだろうか。

録音して見て笑った、自分の声に。
しかしこれをもしやってくれる人がいたら嬉しい。バンドでやりたい。
いつかもっと歌も人に伝えられるようになれば、誰とでもできるんじゃないかと期待してる。

リズム感も、グルーヴももっと分かるようになれば人に伝えられるのに。いつの日か目標だ。

自信がなければ毎日少しずつ、音楽が自分に向いてないなら尚更少しずつでも進む。

自分に合ったこと、それが見つかってたら音楽はやめるのかな、多分はそれはないと思う。





少し身だしなみを整えた。顔の毛を剃った。

他人に不快感を与えてしまうのは申し訳ない、これはもう学生の時からそうなのでしょうがない。
半分諦めているが、今からでも少し前向きになろう。

どうしていつからか無愛想とか感情が無いと言われるようになってしまったんだろう。
どうせならもう感情を爆発させていこう。
抑えこまれた気になってしまう社会か、自分に対して。

フラッシュバックに耐えられるようになったら本当の成長だ。

克服したい。切実に。過去から逃れたい。だったら行動する。


2017年8月24日木曜日

前向き 幸せ

簡単なことなのに、どうしていつもできないんだろう。


分かっていたのに、体の不調を直すのは朝早く起きて運動して欲求を満たすことなのに。
体が動くまで気が持ち直すまでとてつもなく苦痛だ、また作業の途中で気が激減するのが怖くて、それがまた萎える。


ここまでは動けないときの心境、今は大丈夫。
なぜ嫌なのか、苦痛なのか


例えば楽器の練習は先が道のりが遠すぎて苦痛だ、批判を受ける場を想像する。
しかし厄介なのは楽しいときもある、体の調子が良いのかもしれないがとてつもなく平穏な気持ちで練習できる。
しかも楽しい。


これから考察するのは他人の目を気にしているということ、本当に好きなのかどうか。
いつも本当に好きなのか?自分にそれが向いているのか?具体的に説明できるのか、自分に、相手に。
最近、この「本当」というのがテーマである。この夏、自分の曲を作ってからなんとなく本当が見えそうな気がする。
しかし人の気持ちというのは移ろうもので、あっちこっち、隣の芝生が青いのだ。


幸せは相対的か、絶対的なのかというのもテーマだ。
またツイッターで見かけた
john cage botさんの
「音楽」という言葉を守りたいならそうしなさい。そして耳を通過するすべてのもののために、別の言葉を見つけてほしい。ノイズという意味のいくつかの言葉に煩わされるのは時間の無駄だ。実のところそれは演劇なのであって、我々はその中にいて、それをつくろうとしている。」


様々な混沌から他人に、自分に左右され、脳内に言葉が満ちているとき、それは多分疲れている。一刻も早く休んだほうがいい。
無意識のうちに、他人と比べてしまう、これははたして幸せなのか?
絶対的に幸せなのは天然、持って生まれた才能というイメージだ。しかし最近はどうだろう、おそらく目的が、何が自分にとって幸せなのか、明確でないから彷徨ってしまうのではないか。これは音楽もそうだと思う。
これから探さなければない。ふいに道端に落ちているかもしれないし、何十年先に見つかるのかもしれない、あるいは見つける。意味を自分で付ける。


天然的な人、僕にとって幸せに見える人は、自分のなかで意味を持たせるのが上手いとなぁと思う。
ポジティブ思考、これは是非とも真似すべきだ。今日はあれもできない、これもできなかったではなくて、
今日はあれもできなかったけどボーッとする時間ができてよかったというふうに変換したほうがお得だ。
この夏はこのポジティブに助られた。寝てアイスしか食ってないなぁという日でも肯定できるのは何より成長だと思う。
もしかたら自分にとっての幸せは一日寝てアイスを食べることかもしれない。
またハンドスピナーを手に入れた、ハンドスピナーは楽しい、何故か見ているだけで癒され不思議な気持ちになるし、
ボタンを押せばカラフルな光に包まれ、なかなか良い。飽きたけど。


あれもないこれもないではなくて、ないの反対はある だから。
一事が万事、一長一短あり。


最近はレゲエ,tricotにハマっている。いつの日かカバーしてバンドでやりたい、オリジナルも。