今日はずっと歩いていた。
甲府は古い建物と新しい建物が共に健在して珍しいと訊いたこともあった。
歩いてみると確かに赴きある建物、誰が住んでるか分からないような朽ちた空家,
神社、寺
線路に面した部分にも数多くあった。
なぜだろう不思議だ。
あと寺の近くには、神霊波?という何か怪しげなものをビジネスにしていたものもあったのでビックリした。
最近は歩いてもただ疲れる。
なんでだろう。
誰にも会いたくない、どこか自分を受け入れてくれるところを探している。
日常を、常識を抜け出す。
こいうときでも自分は物語の中にいることを忘れない。
様々なアングルで、音楽が流れ、誰かに見られている妄想を忘れない。
被害妄想。
普段から行動するのに誰かの目を気にして、どうしようもない気持ちになる。
そいうときはこの妄想をする。
自分の行動が肯定されるような気になる。
映画、ドラマ、物語が承認されるものとして、認知されやすいから?
とにかく自分は淡々とそいうことをすることで自分が一貫した人物であることと、
自分が認知できる。かもしれない。役割を自分で作れるのかもしれない。
これはメタというもの。
あまりにメタを頻繁にするとわけわかんなくなる。
ある人から見れば滑稽、美しく、かっこいい、ダサい、なんとも思わない
自分の行動は様々な見方を含んでいる。
気にしてもしょうがないので結局どうでもいい。
歩けば、陽の光を浴びれば、寝れると思った。
だけどだめだ、もっとちゃんと運動しないと。
睡眠薬というのはちゃんと診てもらって処方してもらうものらしい。
何か気軽にできるものがあれば知りたい。
何かをするまでに多大な労力が必要。何もかもめんどくさくなってしまう。
でも少しずつこなす、なんとかこなす。
攻殻機動隊、千年女優を見た。
面白かった。
これらもメタを含んでいるのだろう。
もう頭のなかが、、、メタメタ、、、、メタ、、考えるのをやめる。
最近は身だしなみを整え、無駄な毛は剃ってなるべく人前に出れるようにしている。
なるべく煙草も吸わない。
これらは最近大丈夫。
自分の中の最低限なラインを維持して、あとは人の意見は無視する。
髪を伸ばした。明日はどこか遠いところに、誰も知らない所に行きたい。
自分が良いと思えるものを具体的に掴んで行きたい。
最近、上昇、していくことが幸せなのかなと疑問に思う。
何が上昇なのかよく分かんないけど。
地位、名声、金、競争で生む幸せもあると思う。相対的なものに近い。
自分がこれをしているから幸せなんてものはあるのか?
自分は無色透明になりたい、学校を抜け出したお昼時間のような、陽だまりのような、
そんなような場所で、孤独にとらわれず、そんな空気を味わっていたい。
相対的かもしれない。
無かもしれない。
幸せは、相対的、絶対的のバランスなのかもしれない。
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