日々変わっていく自分の心と周りの人に対する理解。
曖昧な日常、ふわっとした何かがあるということに対して自分なりの解決を求めて本を読んだ。
常識、教養、心に何が必要なのか、問いかけた。
まだほとんど解決には至っていない、だが自分なりに進んでいるという手応えがある。
その中で最近興味があるのが、老いと人ということだ。
確実に老いが延長線上にあることを肌で感じ始めた。
今まで関わってくれた人の言動が少し理解できる気がした。ポジティブなイメージ。
物事は表裏一体、だが、今は前に進める気がする。
これから先も生きていくために、必要なこと。
生きなきゃとかそいう切迫詰まった感じでも無い、それは自分がこの時代、環境、そしてたまたま日本に生まれついたから。それ以外の苦しみは到底抱えきれない。
たまたま目にしていない、目にしたくないことがこの世にはある。
目にしたらどうなるのだろうか。いつの日かまた打ちのめされるだろう。
戦後、生きていくために人々は必死だった。
そんなエネルギーを引き摺った昭和、高度経済成長とともにあった団塊の世代の表現を見た。
凄まじさ、寂しさ、黒いアンダーグラウンド。
埃が混じった情景が浮かぶような空間を感じた。
その延長線上に、あらゆる音楽、文化があり自分も恩恵を受けている。
無数の人々が作り、今もなお表現している、とても素晴らしいことだ。
そいうエネルギーとは別に、普遍的な表現も存在しているとも思う。時代ごとに違う。わかんないけど。
まだ知らないことに埋もれた悲惨なことも無限にある、違う価値観も。
全てを知ることはできない。この世は混沌としているようで心持ちで様変わりする。
必ず死ぬ時はやってくるので、それを意識する。
過程はいろんなことがある、それはまぁ時に比べられたりもするけど、度合いによって差があるので自分中心で物事を捉えるのがいい、まぁバランスで自分:他人50:50ぐらいで良いと思う。
あらゆる苦しみからの解放の先に自殺があるとするならば、もったいないと思う。
まだ世の中には知らないこと、自分と気があう人、環境もあると思う。
せっかくだし恋愛、バンド、思ったように喋ったり、生きたりすればいい。
生涯1億人と話せば考えも変わるはず、と自戒を込めて言いたい。
出会いは不思議だ、縁が結んでくれる。運もある、けどなるべく求めたい。
たまたますれ違っているだけでいつの日か、巡り会えたらいい。
何年先になるのかな、例えば自分が何かを作って死んだ後に聴かれて影響を与えられたらと思うとロマンチックだ。死者からのメッセージ。
古い盤を聴くとそう思う、もうこの世にはいない人の景色が浮かび上がってくるのだから。恐ろしいことのような気もする、違和感。
音楽は裏付けで、音楽が魔法であるかどうかは基礎と裏付けにあると思う。
温故知新のように、様々なことが技術的な面では全て出揃っているのでそこを抑えるようにしたい。途方もないが、普遍的なものはすでにある、それでいて今をすぐ捉えられるようにしたい。日常を乗り越え麻薬のような音楽に手を染める。
無限に学ぶことがあるならば、無限の中にもまた自分がいる。
無限を覗き込む時、無限もまた自分を覗き込んでいるのだ。
何かを求め、選ぶと同時に自分も選ばれる立場にいる。
不特定多数に向き合うのも生き方だけど、特定のものに向き合うのもいい。
ただお金は保証できない。
歴史と教訓、今あるものを駆使して生きる。
話は変わって、相手を褒めることは難しい。
迂闊にいいとか言えない、建て前は平和にコミュニケーションするには便利かもしれない。常識なのかもしれない。
褒めることは、いろんな知識、経験を使う。日々の積み重ねが相手を分かる秘訣だ。
このように日々勉強している、今まで分からなかった音楽や、日常のあれこれが分かるようになってきた。
最近は怒りについて勉強していて、あぁそうかこいうこともあると受け流せるようになった。
怒りは危ない、いつもすぐ側にいる。一番いいのは怒りのある環境にいないことだ。
モヤモヤをいつもどうするか自分に問いかける。
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