2017年11月20日月曜日

涙と最近

無知の涙を読んだ。

もっと早く出会っていれば、見方が変わっただろう。だが、今読んだから見える景色がある。
どれだけ知識を詰め込んでも、趣向で知識を選択してしまう、ということが書いてあるのが自分の中に残っている。
なぜなら、今あわよくば趣向、性格を変えたいと願っているからだ。
これは知識を取り入れたからといって、良し悪しは分からないということにもなる。
著者は殺人したことで自らを肯定している、それは刑務所に入り字を、文法を、思想、主義を学んだからだ。
自問自答し、様々な意味を自分と社会に見出した。
「今なら生きている意義もはっきりとわかる」というのも印象的だった。

読む進めていくうちに他の本からの引用や、最終学問としての哲学と倫理、唯物論、実存主義、プロレタリア、社会主義、資本論と言った言葉が印象的。
また弁証法という言葉、これは前に読んだ本を読む本(C.V. ドーレン とモーティマー・アドラー)にも出てきた。

弁証法
べんしょうほう
dialectic; Dialektikギリシア語の dialektikē technēに由来し,
対話術,問答術を意味する。アリストテレスによれば,エレアゼノンが弁証法の創始者とされるが,彼は「多」と「運動」の実在性を主張する論理の矛盾を一種の帰謬法によって明らかにした。ソクラテスは対話術を広く活用し,論者の意見や思惟の矛盾をつき,事実の概念的把握を試み,真知の究明を目指し,プラトンは真実在たるイデアにいたる思索上の方法としてこれを積極的に利用し,アリストテレスは論理学の一部門として学問的に位置づけた。近世では,カントは弁証法に独自な意味を与えて消極視したが,フィヒテを経てヘーゲルにいたると,全学問の方法的基礎として重視され,マルクス,エンゲルス唯物弁証法に発展した。

本を読む本に出てきた技法を全てできるわけではないが、探求したい物事にはなるべく力を注ぎたい。

だが前に、上にと向上していこうとすると、技術に捉われて無機質で機械的な意識で取り組むようになっている。
そうではなくてバランスで、自然さと不自然さを同居させる。

このタイミングでテレビでプロフェッショナルという番組で過労死の特集をしている。
労災、労働基準、過労を強いられる立場と取り巻く社会。
これらは無知から来るのではないか、何かの掛け違いで辛くなってしまう。

「こんなに素敵な仕事なのに毎日心をくたくたにするのはおかしい」という女性の発言。
涙を流し、切実な様子だった。
社会は競争を迫って来る。だが相性があり、選択肢が我々にはある。
自分はこの身を持って生き方を一つ提示できたら参考にしてもらいたい。

資本主義、社会主義の言葉が浮かぶ。
まだ理解できてないので、色々言えない。多分そこに意味があると思う。
オープンソース、勉強しよう。


最近はなるべく目を疲れさせないようにしている。
積極的に眼鏡は外すし、眠くなったらすぐ寝るようにしている。
そして食事の時間帯も規則的なリズムにしてみた。
そうすると、不思議と睡眠時間のリズムが出来上がってきて最低でも22時には眠れる。
といってもつい0時になってしまう、これでもいい方。
おかけで疲れにくくなってきた。暴飲暴食、寝不足、過労に気をつける。

今日も生きた、よくやった。過剰だが自分を褒めるのも大事。誰より自分が自分をいたわるべき。

メモ
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