2017年8月24日木曜日

前向き 幸せ

簡単なことなのに、どうしていつもできないんだろう。


分かっていたのに、体の不調を直すのは朝早く起きて運動して欲求を満たすことなのに。
体が動くまで気が持ち直すまでとてつもなく苦痛だ、また作業の途中で気が激減するのが怖くて、それがまた萎える。


ここまでは動けないときの心境、今は大丈夫。
なぜ嫌なのか、苦痛なのか


例えば楽器の練習は先が道のりが遠すぎて苦痛だ、批判を受ける場を想像する。
しかし厄介なのは楽しいときもある、体の調子が良いのかもしれないがとてつもなく平穏な気持ちで練習できる。
しかも楽しい。


これから考察するのは他人の目を気にしているということ、本当に好きなのかどうか。
いつも本当に好きなのか?自分にそれが向いているのか?具体的に説明できるのか、自分に、相手に。
最近、この「本当」というのがテーマである。この夏、自分の曲を作ってからなんとなく本当が見えそうな気がする。
しかし人の気持ちというのは移ろうもので、あっちこっち、隣の芝生が青いのだ。


幸せは相対的か、絶対的なのかというのもテーマだ。
またツイッターで見かけた
john cage botさんの
「音楽」という言葉を守りたいならそうしなさい。そして耳を通過するすべてのもののために、別の言葉を見つけてほしい。ノイズという意味のいくつかの言葉に煩わされるのは時間の無駄だ。実のところそれは演劇なのであって、我々はその中にいて、それをつくろうとしている。」


様々な混沌から他人に、自分に左右され、脳内に言葉が満ちているとき、それは多分疲れている。一刻も早く休んだほうがいい。
無意識のうちに、他人と比べてしまう、これははたして幸せなのか?
絶対的に幸せなのは天然、持って生まれた才能というイメージだ。しかし最近はどうだろう、おそらく目的が、何が自分にとって幸せなのか、明確でないから彷徨ってしまうのではないか。これは音楽もそうだと思う。
これから探さなければない。ふいに道端に落ちているかもしれないし、何十年先に見つかるのかもしれない、あるいは見つける。意味を自分で付ける。


天然的な人、僕にとって幸せに見える人は、自分のなかで意味を持たせるのが上手いとなぁと思う。
ポジティブ思考、これは是非とも真似すべきだ。今日はあれもできない、これもできなかったではなくて、
今日はあれもできなかったけどボーッとする時間ができてよかったというふうに変換したほうがお得だ。
この夏はこのポジティブに助られた。寝てアイスしか食ってないなぁという日でも肯定できるのは何より成長だと思う。
もしかたら自分にとっての幸せは一日寝てアイスを食べることかもしれない。
またハンドスピナーを手に入れた、ハンドスピナーは楽しい、何故か見ているだけで癒され不思議な気持ちになるし、
ボタンを押せばカラフルな光に包まれ、なかなか良い。飽きたけど。


あれもないこれもないではなくて、ないの反対はある だから。
一事が万事、一長一短あり。


最近はレゲエ,tricotにハマっている。いつの日かカバーしてバンドでやりたい、オリジナルも。


























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