頭のいい人はすぐ解決策を出す。
思えば子供の頃から知識人みたいな同級生は皆、情報量多くても、パニックにならないなと思っていた。
今、形成された知識
・音読み……
昔の中国の発音をもとにした読みで、聞いただけでは意味がわからないものが多い。
・訓読み……
漢字の意味を表す日本語の読みで、聞いただけでも意味がわかるものが多い。
ふと音読み訓読みの違いを疑問に思った。
多分最近本を読んでいて古文とか漢字とか言葉に興味が出たからだろう。
そうすると英語も学ぶか〜とかぼんやり思い始めて、書き取りとかめんどくさいから英語の歌だけ聴いて満足したりして。
近郊のイベントを調べてみると夜間学校の説明会とかがあって驚いて、また学んでみたいな〜とぼんやり思った。
今更だけど、子供の頃行っていた監獄みたいな学校には行きたくないし、いろんなことが錯綜しすぎて授業どころではなかった。
ほとんど思い出せないのだけれど、なぜ自分が勉強しなかったとか考えるとそいう部分にあった。という言い訳。
何故という部分を今更考える、そして自分なり解決策や答えを出す。
他人に頼ってもいいんだけど、なるべく一人で出した方が深みのようなものが出ると思う。
ただやっぱり思い出せない、自分がなぜ勉強しなかったのか。
単純に嫌いだったんだろう。考えたり自分なりの答えを出すというのが苦手だった。
競争みたいな部分もあるし、向上の先に目的があればいいけど。
皆よくやっていたなと思う、ゲームみたいな気分でやっていたのかな勉強。
いやでも惰性で勉強してた人とかいるのかな、まぁいるのかもしれないな。
目的はあった人もいただろうし。
自分は本当に何をしていたのかあまり思い出せない。
ボーっとしていたような気もする。
あと東京に行きたいな〜とぼんやり思っていた。
そうすれば話の合う人もいるし希望もあった。
あとやっぱりいろんなものの表現を体感させてもらえたのは大きかった。
その広大な深淵な世界観に思い耽っていた。
音楽を音楽というよりかはその世界観の中に、入り込む体験・・・
フリージャズや舞踊、フォーク、プログレ、様々な複雑な表現を音楽基礎や芸の基礎みたいなものを知る前に体感したのはマズかったのではないか。
抽象的なものを具体的に言語化する技術がないし、他人に伝えられない。
表面的なものを感じようとしていたかもしれない、直感的。
音楽は聴く人を選ぶし、音楽によってそいう細部の部分の違いを楽しむ価値観に果てがないということ。勝負のような部分もある。どこかで自分の答えを出す。
常識とか個人によっても恐ろしく価値観が違うので、混沌としている。
何より好きでやっているんだから。
全てを論理的に説明できるわけがないけど、小泉文夫さんという方のラジオをyoutubeで聴くと勉強になります。芸大ではこいうことが学べるのか〜と思ったりした。
ただ自分のやりたいことを見失わないようにする。
最近は、今日はもう音楽できなかった。したくなかった。無だった。
これから考えられるのは音楽は自分にとって気分的なものだし自制できるような代物でもない。
もう疲れた。
ただたまに自分の音楽が必要とされたり役に立ったりする時があるのかもしれない、今自分にすぐできることはギターだし話が早い。
たまにさ、役立ったりするんだ。ある程度自分の目標とする技術力は惰性感を出しつつ練習する。
好きなものに関しては結果よりも過程が大事だと思ってる。
やっぱり気持ち的に好きなこと、ポジティブな気持ちでやれたらいい。
最近はもっとフラットな方向というか多少主観はあるけど、もっと気軽に自分がいてもいなくてもいい場を作りたいなと思っている。めんどくさがりだし責任も嫌いだけど、誰もやらないからやりたいと本気で思ってる。
よかったら遊んでください。
ジャムセッションもそれだと密かに思ってる。分からないことも多いけど、そんな混沌ができたらいい。自分はそれをやりたい。
そのために必要な勉強はする。またそれが自分にとって楽しいし好きだ。
あと自立した幸せっていうのを具体的に捉えに行ってる。
もう少しでいけそうな気がしてる。
あ〜疲れた、カラオケ行きたい。
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