2017年10月2日月曜日

共感性羞恥

共感性羞恥とは
他人が恥をかく、叱責される、失笑を受ける、非難される・・・・・などの光景を実際に、あるいはドラマ、マンガなどを通じてみたときに、まるで自分がそれらを受けているように動揺、委縮し羞恥心を感じる現象

今日知人から話を聞いて、共感性羞恥というものを初めて知った。
それを知人は持っているらしい。
共感性羞恥を持った人は多いのではなかろうか。
特にステージで表現をするということは恥をさらすことなので、この問題と直面することが度々ある。恥ずかしがっていては表現はできない、非難されるから・・・表現をしないということがあっていいか、生きる行為を否定される感覚に貶められたしても、やめるやめないは自由だし、そういった環境で受け入れられなかったら違うところを探すべきだとも思う。恥の文化は勝手なことしか言わない、どうでもいいことだとも思う。

経験から羞恥心を感じてしまうのか。
行為が恥と感じる要因を経験から導き出す客観視が入っていると思う。
メタ認知が行われ状況を観察し、身の危険を回避できる能力だ。
知人は共感性羞恥を感じてしまったらドキドキしたり、テレビを見ている時にチャンネルをすぐ変えてしまうらしい、お笑いや素人系のエンタメバラエティなど。

よく言えば現象に共感させるだけの力があり、体感したものは感受性があったということ。

なにが恥ずかしいんだろう、表現の種類、それは好き嫌いだと思う。
疑問なのは素人系のエンタメを見ると恥ずかしいということ、それは生身の感情が見せられてる感覚なのかもしれない。
知人にとってはやめてくれという感覚になるといっていた。これはある状況から恥を想起してしまうその人の心理
だと思うので共感性羞恥は十人十色ということだろう。知人にとってはそれが恥ずかしかった。

共感性羞恥の共感も千差万別。多分ずっとつきまとう。

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