何かを発言するとき
大抵誰かのことを考えて喋っている、例えばあの人のような喋り方で喋る、
これを言ったらあの人はこういう風に自分のことを誰かと話すだろう。
結構他人のことを念頭に置いているのかが分かった。
ネガティブなイメージで、発言してしまう。
何故ネガティブなイメージかというと相手が良くも悪くも自分の想定外のことを発言するからだ。実際はポジティブなこともあるかもしれないが、ネガティブの力が強い。
あまり見ないようにはしている。
仕事で、対話で処世術を覚え、薄い関係を持つ。
少し喋りすぎなんじゃあないかと思う、
本音と建て前というシステムを使い分け、思った以上に人はそれを楽しんでいる。
この国だから、とか考えるけど、そいう文化が他国では違う形で代替されているのか、そもそもないのか、結局は一緒なのか、人それぞれ違うことが一緒なのか、同じであり違うのか、本質が違うのか。
他国に行って文化の違いを感じたい、いい部分も悪い部分も見えてくると思うから。
人と同じで適度な距離感を保ち続けるのかがミソだと思う。
黒い部分、執着、嫉妬、性、憎悪、暴力、裏裏、そういったことにイメージを置かない。
いいことなのか悪いことなのか、わからない。ときにエネルギーがこれらの理由で利用される芸術は摩訶不思議だ、あまり見たくない一面だ。
そんなイメージを想起させるものとは触れなければ自然と人間関係が構築されると思う。
自分も誰かにとっては弾かれる存在になっている。
そいう部分ではお互い様だと勝手に思っている。
建て前は演技。そいう技術力は高い。
ライブは演技をする、調和するともいう。
演技と調和は違う気がしてる、自然に身を任せれ状況の認知を考えなくてすむ。
そのとき無責任になれる、意識せずとも無責任のままな気もする。
そしてこれらを温泉、運動で全て忘れる。万事おk。また考えます。
0 件のコメント:
コメントを投稿