2019年4月29日月曜日

marit 真実に向かおうとする意思

20190428(sun)
二日続いたライブが終わった。
AIRYに滞在していたmatin shirin carolasdotterさん(Dance)のコラボレーション。
ライブの一週間前にお話を頂いて、どのようなことをすれば良いのか思い巡らしていた。

・赤い線がサーミーがいる地域
maritさんはサーミーという民族の末裔らしい?(英語が分からなかった、すみません)
サーミーが持つ問題を社会に訴えながら、自分自身のダンスでそれをどう表現するか、突き詰めようとしている。
自分が共演したワークショップでは複数人参加して、maritさんのダンスレクチャーを見つつ、動きと指示によって自分がイメージする音を出した。詳しくは動画を見て欲しい。
ワークショップの中でお互いの体を押し合いながら受け流す動きがあったり、
逆に押し合いながら共に動いたりしていた。
驚いたのはmaritさんが自分より大きな体格な男性と背中合わせになって、背中で持ち上げるようにして仰向けの体制にしたこと。
身体の使い方にポイントがあるのかもしれない。
訊くのを忘れてしまった。
maritさんは合気道も嗜んでいる。
合気道にそいう動きが含まれているのかもしれない。
合気道
押し合いながらも受け流して離れたりくっついたり、共に動いたりするダンスは、
受け流して行くことが大事だと思ったり、地を這うような動きをして「どっ、どっ、という音が欲しい」とmaritさんに言われた時は心臓の鼓動をイメージした。
そのとき、生命の循環と自然回帰を目指して行く表現だと信じた。
終わって感じたのは、人間の呼吸と静寂と身体を動かす喜びだ。
瞑想のような精神統一とスポーツをして汗を流した心地よい感じ。
自分ももっとアクティブに体を動かして見たくなった。
みんなダンスを通じて何を求めているのか興味が湧いた。
maritさんが言った「ジャムセッションよ!」と言ったのを思い出す。
自分は演奏で何がしたいんだろうと思った。

その翌日の夜、AIRYに荷物を取りに来た。
入り口のドアから聞こえて来る音はスピーカーを通して篭った喋り声と人が床と強くぶつかっている音だった。
お客さんがいるなら声が聞こえてもおかしくないし、maritさんが一人でダンスの練習をしているのか?だとしてら相当気合の入った練習、それともリハーサル?
それを邪魔するのはまずい・・・と感じざるを得ない空気感。
一人、ドアの前でしばらく佇んでいた。しかし、
黄昏てもしょうがないし時間もないのでドアを開けたら、
黒く見える土の上で黒いワンピースのような衣装を着たmaritさんが息を乱しながら真剣に踊っていた。
数えるくらいの照明で体の陰影が浮かび上がるような当たり方と明暗だったと思う。
ダンサーは土を求めるものなのか、体を強く意識する運動によって思考が自然へと流れて行くのか、感覚というものを言葉で捉えているうちは理解できないのか、また理解しなくてもいい、考えなくてもいい感じろなのか、そんな疑問を合気道やサーミー、また人間と土ということに抽象化した。
ただmaritのダンスを見ていた。
終わった後の質疑応答ではmaritはダンスを「政治家の前で踊りたい』と言った。
「日本にはサーミー、スウェーデンにはアイヌのことを伝える、目標はスウェーデンにアイヌを呼ぶ、本来のアイヌの踊りをして欲しい」とも言っていた。

これらを体験して自分が課題にしたことは?
自分の軸、アイデンティティを持つこと
自分は何者かと問われると言葉にできない自分がいる。
その時に言われたのがアイデンティティを知ったほうがいい、と。
普段、喋ったりする機会がなかったり無意識に避けてたりするから、知ってみたいと思っていた。
そんなタイミングでmaritさんと出会えて良かったと思う。
自分の核となるものを追い求めて抽象化すれば、迷わず演奏する意味にも繋がると思う。
違う言語を学ぶこと
AIRYの滞在アーティストと接して思うのが、もっと英語喋れたら良かったなってこと。
理想はgoogle翻訳に頼らない。
同じ人間だけど、違う価値観を持った人間がこの世界にはいるんだってこと。
自分の世界を拡げてくれる鍵が言語。
その言語で他人と思考を共有できるかもしれない。
日本語じゃない言語で思考したら、喋ったらどうなれるのか楽しみだ。

今までアートはよくわからなかった。
AIRYの滞在アーティストに接すると何をここまで執着してやるのか興味が湧く。
奇抜なことをやるというより、やらないと仕方がないんだろうなと思った。
奇抜なことのように見えるけど、本人は普通にやっていたりする。そのギャップが面白かったりする。日常のように、息を吸うように作品を作り発表する。
そいう自然さみたいなもの、湧き上がるものを大事にする姿勢は勉強になった。
制作のコンセプトや志は人それぞれ。
これまで数え切れない人が試行錯誤した歴史が存在したアートを知りたい。
よく表現している人は「感じるんだ、表現だ」とも言うけれど、数多く具体的にしたことがその言葉に抽象化されているんだと思う。
大事なのは、自分で実感して真実に至ることだと思う。
「真実に向かおうとする意思が大事」だとジョジョの奇妙な冒険に出てきた。

自分や他人とアートを知っていけたらと思えたライブだった。
また知らない人を宇宙人的に接する精神はもうやめます。

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