2017年10月29日日曜日

芸術は難しい。


2017年10月28日土曜日

発想する秋

秋、冬は良い。

飲み物はホットが中心になった、ストーブも出した。
ミルクティーの甘ったるい匂いと、ストーブの暖かさで色々思い出す。
この暖かさの中でバンドの練習したこと、友人(だと思う)と話したこと、個人練、作業したこと、オレンジ色の電球が目に焼き付いてること。
全てこの部屋であったこと、そんな思い出と何となく区切りがつきそうな予感にさせてくれる。
でもこの思い出があるから、やっている気もする。

今日はライブの準備をした、やっぱりライブは良いものだけど客として見た方が幸せな気がする。
表現に左右され楽しみたい気持ちを自制するのが大事かもしれない。
だが最近はそんなことにもやりがいを見出せるようになってきている。
割り切ってやっているとき視点は別方向にシフトし、様々な視点を思い出し擦り合わせる。
そうすること自分の確固たる視点が生まれる、それはサポートするときも演奏するときも大切だ。
ただ人と関わってやると限界がくる、最低でも5時間ぐらいが限度だ。
同じ場所、人間関係で一日拘束されると発狂したくなる。
これを念頭に置いて上手くガス抜きすることが最重要事項。

人がよく死ぬ、死にすぎると死の感覚がおかしくなる、「あ、死んだ」くらいにしか思わなくなる。
ただそれは遠い人のことを思うときだ、死を繰り返し感じ見た人はどいう感情になるのだろう。
悲しい、けど死はいつもすぐそこにあるような気もする。「あ、あった」みたいなレベルであるよう気がする。
悲しくもないような気もするし、しょうがないことだとも思う。
自分が死ぬときはせめてイライラして死にたくないなぁ。
イライラと他人にだけは殺されたくない。

寝るとき幻覚を見る。
寝起きか寝る前か覚えてないけど、なぜか自分はテニスをしに千葉へ向かうと予定を立ていた。
そう確信していた、起きたらなぜ確信していたのかもよく分からなかった。
寝る前は確信していたと思う。
他にもあったよう気がするが忘れた、夢(幻覚)と現実の境目が曖昧になった感覚がパプリカみたいでワクワクする。
現世は夢 夜の夢こそまこと

最近興味があること
数学 英語 プログラミング 本 ライブの計画 場を作ること 瞑想 温泉 
社会 異性 集客 自分の向き不向き限界を知ること 練習リズムスケールコピーアレンンジ 機材 話すとき客観視 唇 曖昧な集団帰属意識 登山 酒 

 



2017年10月25日水曜日

不安

じわ〜っとした、この10月の寒さのように、不安が纏わりつく。
これからどうやって生きていくか、

人として、男という機能を持ったものとして、楽器弾きとして、成り立たせるという難しさ。簡単なのかもしれない。

急だけど

いきなり世界全てを説明し尽くすような理論を目指すタイプ(分裂病圏)事実を元にして周りとの関連性に配慮しながら帰納的にコツコツと理論を組み立てて行くタイプ(躁鬱病圏)

というのがあるらしい。
自分のタイプというのも分析するとわかりやすい。何故そうなるのか?という疑問も湧くが、傾向、性格というのが自分の行動を決定づける。となっているらしい。

いろんな本を読んで勉強すれば、少しは生きやすく楽しくなるのかもしれない。
できれば楽しく生きたい、なるべく楽しく生きたい。楽をするための努力はする。

音楽活動する上で、大体の問題は金だったりする。
交通費、制作費、人件費、何とか費、金金
湯水のように、とまでは行かないが、活動する上で必要な資金を確保する上で必要な仕事をする。
適正検査、繰り返し。なにが正しいのか、エラーエラー。

最近、なにがしたいのか楽しいのか分からない。
音楽ももうよく分からない。見失った。

もっと人と関わる。
矛盾を孕んだ行為はエラー。
途端に自分が分からなくなる。怖い。

一時的な気の病だと信じていたい。寒さのせいか、晴れたら運動すれば直るのか、自分のボケのせいか、分からない。

資格を取るか、もっと機械とかいじられば、いちいち人のいうことに反応しなければ。
阿呆らしい、普通になれたらいい、でも自分にとっての普通だから。


とにかく、いつも暖かくいたいです。

今日はダメだ。

2017年10月24日火曜日

KOKUBO温泉

今日は帰ったら曲を作ろうと思っていたら、チェスをやるはめに。
なかなか面白かった、しかし勝ち負けというのは虚しい。
考える体操にもなった気がする。色々もっと先読み・・考えないと・・。


今日は国母温泉に行った話。
お湯は少しヌメッとした感じで三つの風呂が熱いのとぬるいやつ。
一つは水風呂、あとは露天。
雰囲気もなかなか、イナタイ感じ。

何故イナタイか、それは刺繍禁止と書いてあるにも関わらず全身刺繍だらけの人がいたからだ。
なかなかスリリング。
結構そいう人も多いのかもしれない。

久しぶりのサウナにも入って汗をたくさん流した。
解脱。
温泉サウナをやったら新陳代謝が良くなる気がする、あと普段から暖かくなる。

あとは少し練習して、まぁとにかくやれっていう話と、うまく付き合うのが大事で。
寝起きの時練習するのも効果ありだと思う。

今日はまあ大体そんな感じ。特になし。
あと散髪したスッキリ、かっこよくなりたい。
ドンキーコングのサントラは最高。
愚痴ばかり言ってもしょうがない

明日から曲を書く、練習をしっかりする、行動する、ライブをする、
それがなんなのかよくわからんけど、とにかく今はそれをするしかないと思っている。
考えの放棄。

地道にやる。

2017年10月22日日曜日

万事おk

何かを発言するとき

大抵誰かのことを考えて喋っている、例えばあの人のような喋り方で喋る、
これを言ったらあの人はこういう風に自分のことを誰かと話すだろう。

結構他人のことを念頭に置いているのかが分かった。
ネガティブなイメージで、発言してしまう。
何故ネガティブなイメージかというと相手が良くも悪くも自分の想定外のことを発言するからだ。実際はポジティブなこともあるかもしれないが、ネガティブの力が強い。
あまり見ないようにはしている。

仕事で、対話で処世術を覚え、薄い関係を持つ。
少し喋りすぎなんじゃあないかと思う、
本音と建て前というシステムを使い分け、思った以上に人はそれを楽しんでいる。
この国だから、とか考えるけど、そいう文化が他国では違う形で代替されているのか、そもそもないのか、結局は一緒なのか、人それぞれ違うことが一緒なのか、同じであり違うのか、本質が違うのか。
他国に行って文化の違いを感じたい、いい部分も悪い部分も見えてくると思うから。
人と同じで適度な距離感を保ち続けるのかがミソだと思う。

黒い部分、執着、嫉妬、性、憎悪、暴力、裏裏、そういったことにイメージを置かない。
いいことなのか悪いことなのか、わからない。ときにエネルギーがこれらの理由で利用される芸術は摩訶不思議だ、あまり見たくない一面だ。

そんなイメージを想起させるものとは触れなければ自然と人間関係が構築されると思う。
自分も誰かにとっては弾かれる存在になっている。
そいう部分ではお互い様だと勝手に思っている。

建て前は演技。そいう技術力は高い。
ライブは演技をする、調和するともいう。
演技と調和は違う気がしてる、自然に身を任せれ状況の認知を考えなくてすむ。
そのとき無責任になれる、意識せずとも無責任のままな気もする。

そしてこれらを温泉、運動で全て忘れる。万事おk。また考えます。

2017年10月18日水曜日

ハード オフ

今日は河口湖へ用事があったので行った。

県内のハードオフを巡るのが目標で、用事のついでに行った。
まだ見ぬレアな楽器、楽器にその地域の特色が出る。またネットでハードオフの商品がチェックできるので興味があるのでチェックしてみるといい。
そのネットであったものが無かったので残念。

途中、温泉も行きたいなと思ったけど行く時間もなく帰宅。

一旦休憩してまたハードオフ、ブックオフ巡り。
本を売ったり、楽器、cdを見たりした。まだ聴いたこともない音楽がある。
ネットで出会う音楽もあるが飽きてしまう。できる限り新鮮でありたい、その状態で音楽と出会いたい。自分はそいう理由で現物の音楽を買う。
しかし果てがない。途方に暮れる。

明日はまたハードオフ、楽器屋巡って温泉に行けたらいいなと思う。
車が欲しい、あれは移動する家。

普段から書こうと思ったことをメモしてるんだけど、なんだか書く気が起きない。
メモにした時点で満足してる。う〜ん、整理がつけられるといいなもうちょっと。
そう整理という、物事を考えて解決に導く力というのが足りない気がしてる。
周りの人にできるのに自分は何故できないのか、ということをずっと考えていて、
量をこなしても、解決に導けない、なるべく反省して物事を捉えるようにする。
物事の全体をまず捉えることを意識して、量をこなす。

だから最近は効率を考えたり、簡単なクイズなどをやるようにしている。
解決しているのか、してる。してるといいな。

2017年10月14日土曜日

今日はジャズ研究会に遊びに行った。
外に出るために一応身だしなみを整えた、
北のほうに向かうと空気が澄んでいる気がする、活気がある気がする。
最近は歩いているけど疲れを感じる、それでも音楽を聴くと様々な世界観を感じながら歩けている気がする。
大学に着く、初めて中に入る。ジャズ研の部室はどこかと尋ねると誰一人として知らない。まだそれだけマイナーなサークルなのだろう。
探すと大学会館というところにあった。
道中、自分は学生気分を味わいながら空気を吸った。とても晴れやかだ。
またいろんなサークルを見て回るのも面白そう。

部室にお邪魔する、皆それぞれに個人練をしていた。
途中から文化祭に向け、課題曲を練習。部員数もある程度にいるのでこれから楽しみ。
自分も同じくらいの歳にコミュニティに参加できればなと後悔してもしょうがないので今からでも楽しもう。

最近ひしひしと感じているのがsnsが身近に感じられる方法で利用している人が多い。
特にtwitter,表現の一種として一般化してる気がする、これが一昔前だったら前略プロフとかmixiとか携帯小説とか手作りのHP、お絵かき掲示板、それぞれがまとまった感じが今のsnsだと個人的に思う。
昨日テレビで中学生が生配信してるのを見て、その迷いのなさに感動した。
今はもう生配信、youtuberが一般化してフラットなスタンスでネットに接してる。
それとも自分がまだ距離感を迷っていて、匿名性があってほしいという願望があるからか。
これはもう少し考えたい。

なぜそんなことを思ったかというとtwitterで探して見たらという道を尋ねた人から助言があったからだ、それもあるし日頃から皆フランクにアカウントを教えあったりする光景を見ると自分がおかしいのかなとも思う。ふとそんなことを思った。
あとライン、もう連絡はライン、少し付いていけなくなる、もっと人と関わっていくべきか〜




2017年10月12日木曜日

忘れるために

忘れたい、全てを忘れる勢いで忘れたい。

今日は忘れたかった、いろんなことを消し去ってほしい。
そのために日々何が自分にとっていいか探している、その手段の一つとして温泉、銭湯、サウナに行くことがある。
今日は石和に行った、この県に住みながら石和という街を一切散策したことがない。
歩いて温泉、宿泊施設が多い街だと実感した、またイナタイ感じもする。
宿泊施設に中にある温泉が多く、日帰りで入浴者も入れるところもあったが何やら物怖じしてしまいやめた。次はそいう施設の中にある温泉にも入ってみたい。
目的のところで、サウナ、水風呂、電気風呂、普通の風呂に入る。
電気風呂に初めて入る気がした、前にも入ったこともあると思うが大分前のことだ。
驚いた、肉体が痙攣して不思議な感触だった。少し苦手かもしれない、またこれから良さが分かればいいな。
サウナも久しぶりだった、多大な汗がかけてよかった、水風呂コンビも忘れずに。

快楽は、心臓の鼓動と連動しているのでないか。
温泉、サウナ、酒(苦手)、タバコ、スポーツ運動
これらは大体鼓動が早くなるにつれ、血流が加速する。その後の緩和が心地よい。
肉体にあえて、心地よい負荷をかけることで心身共に健康に繋がる。

・温泉、サウナ=発汗、発熱、心拍数増加
・アルコール、ドラッグ、タバコ=幻覚、心拍数増加? これらはあまりやったことがないので分からない。
















2017年10月7日土曜日

静寂

喧騒の後の静寂が心地いい。

愛おしい、この時間こそが本当の自分、癒し。
静かで退屈だが洗練された日々、時間。

自分の機嫌を自分で取るようになる術を意識してから、割とスムーズな心持ちになっている。
頭の中のノイズが道一本向こうで鳴ってる感じ。

ここまで来るのに一体何十年掛かってるのか。
やはり他人ができることをできるようになるのに、もの凄い時間を掛けなくてはいけない。でもコツさえ分かれば大丈夫。

今までより自分の声を聞けるようになった。具体的に何をしたいのか。
だからこれからも大丈夫、きっと好きなように生きられる。

2017年10月5日木曜日

第一水曜日定休日

温泉銭湯を巡り歩き回った話。

山の方面にある温泉に行きがてらジョギングした。
途中湯村にある湯村温泉という宿泊施設が集まった区域がある。
温泉に入れるかと思ったが、宿泊者だけ入れるらしい残念。
温泉街は寂れた雰囲気だった、昔は繁盛していたのだろうか。朽ちた看板、葛飾北斎が描いた温泉!という謳い文句が印象的だった。
まぁ甲府も同じで朽ち果てて行く一方だ、同じ雰囲気を感じて少しゾッとした。
またここでも空き家が多く見られた気がする。

歩いたり走ったり自分のペースで進み、少し肺活量と足の可動性が安定したと感じた。
これからも続けて行きたい。

到着したのはいいものの、休みだった。
定休日は水曜日と書いてあったものの第一水曜日だと知らなんだ。
そこから下り、違う銭湯に行こうと思って行く店大体休みだった。
最後に行った銭湯でお札で入場料を払おうとしたら釣り銭がなく、崩してきますと行って店を出た。なんだか神に帰れと言われてるみたいで心が折れた。
何だか15km以上は歩いた気がする、疲れた。自分は何をやっているんだろう。
いい運動になったと前向きに考える。帰りにあっさりした醤油ラーメン大盛りを食べて良しとした。

銭湯は第一水曜日定休日が多いことを学んだ。


その後疲労感がすごくて、軽く解脱(なんだかフワフワした感じ、周りの中で自分を認識できる感じ、温泉に入った感じ、こいう解放された気持ちよさみたいな
言葉があったと思う)したようなトリップ感を味わえた。

時々は激しい運動をすることで脳にノイズ、煩悩をなくすことができる。
すごい。











説明を追加



2017年10月3日火曜日

温泉 銭湯

眠れないので書きます。

温泉についてネットで色々調べてみた。
自分は温泉と銭湯の違いをわかってなかった。

◎温泉◎
天然(自然の恵み)。誰も入らなくてお猿が入ってても温泉。
温泉源の水温が25度以上で、国で決められた温泉の温泉法の指定成分19種類のうちどれか1つでも規定以上入ってれば、
その後温泉源の水温より冷たくても温かくても温泉といえる。

◎銭湯◎
人工的。お金を設ける目的。お客を呼ぶ施設。経営者がいる。
水道水を使ってわかしたお湯を使っている。

また甲府の銭湯は大体温泉らしい。
ありがたいことだ。甲府にいて誇らしいことの一つになった。

またいろんな人のブログを見てると山登り、宿泊と関連して温泉が出てくる。
山登りにも興味が湧いてきました。これからはいろんなところに行けたらいいなと思います。



2017年10月2日月曜日

共感性羞恥

共感性羞恥とは
他人が恥をかく、叱責される、失笑を受ける、非難される・・・・・などの光景を実際に、あるいはドラマ、マンガなどを通じてみたときに、まるで自分がそれらを受けているように動揺、委縮し羞恥心を感じる現象

今日知人から話を聞いて、共感性羞恥というものを初めて知った。
それを知人は持っているらしい。
共感性羞恥を持った人は多いのではなかろうか。
特にステージで表現をするということは恥をさらすことなので、この問題と直面することが度々ある。恥ずかしがっていては表現はできない、非難されるから・・・表現をしないということがあっていいか、生きる行為を否定される感覚に貶められたしても、やめるやめないは自由だし、そういった環境で受け入れられなかったら違うところを探すべきだとも思う。恥の文化は勝手なことしか言わない、どうでもいいことだとも思う。

経験から羞恥心を感じてしまうのか。
行為が恥と感じる要因を経験から導き出す客観視が入っていると思う。
メタ認知が行われ状況を観察し、身の危険を回避できる能力だ。
知人は共感性羞恥を感じてしまったらドキドキしたり、テレビを見ている時にチャンネルをすぐ変えてしまうらしい、お笑いや素人系のエンタメバラエティなど。

よく言えば現象に共感させるだけの力があり、体感したものは感受性があったということ。

なにが恥ずかしいんだろう、表現の種類、それは好き嫌いだと思う。
疑問なのは素人系のエンタメを見ると恥ずかしいということ、それは生身の感情が見せられてる感覚なのかもしれない。
知人にとってはやめてくれという感覚になるといっていた。これはある状況から恥を想起してしまうその人の心理
だと思うので共感性羞恥は十人十色ということだろう。知人にとってはそれが恥ずかしかった。

共感性羞恥の共感も千差万別。多分ずっとつきまとう。