マニー・カーティス
マニー・カーティス(本名エマニュエル・カーツ、1911年11月15日 - 1984年12月6日)は、アメリカのソングライター。[1]彼は「イン・ア・センチメンタル・ムード」(1935年)や「レット・イット・ビー・ミー」(1957年)など、250曲以上の歌詞を書いた。[2]彼は米国ニューヨーク州ブルックリン で生まれ、米国カリフォルニア州サンフランシスコで亡くなりました。
彼は、マン・カーティス、マニー・カーティス、マニー・カーツというペンネームも使用しました。
マニー・カーティス(本名エマニュエル・カーツ、1911年11月15日 - 1984年12月6日)は、アメリカのソングライター。[1]彼は「イン・ア・センチメンタル・ムード」(1935年)や「レット・イット・ビー・ミー」(1957年)など、250曲以上の歌詞を書いた。[2]彼は米国ニューヨーク州ブルックリン で生まれ、米国カリフォルニア州サンフランシスコで亡くなりました。
彼は、マン・カーティス、マニー・カーティス、マニー・カーツというペンネームも使用しました。
『The revolutionary』で<世界が変わっても おれはおれのままさ>と歌う彼らに繋がる重要な楽曲だ。
僕は今、携帯電話を持っていません。
かつてはスマートフォンを使っていたのですが、ご存じのとおり、スマホは電話とメールは当然ながら、SNSやゲーム、動画、音楽、写真……あまりになんでもできますよね。
そのせいで、僕は一日じゅうスマートフォンを見ている「スマホ廃人」と化していました。
だからある日、契約を解除して携帯電話を持たない生活に切り替えました。
はっきり言ってとても不自由です。
飲み会に誘われたり、何気なく誰かとメールすることもなくなり、友達も減りました。
イベントや待ち合わせに遅れたり、致命的なスケジュールの勘違いもありました。
ですが、スマホ廃人になっていた頃より、心は自由です。
あえて情報の入力を絞ってみてはどうでしょう。自分に必要な数の選択肢が見えてくるかもしれませんよ。
別々の仕事なら、それぞれ自分の立場は違うから、どこかが緩衝材になってくれるはずです。
ある仕事がうまくいけば、「自分はこうしたものが向いているんだな」とわかりますし、その仕事の時間を積極的に増やせばいい。
アルバイトを何個か掛け持ちしていたときの僕がそうでした。
ガソリンスタンドとガードマン、そしてドライブインのアルバイトと最大3箇所の掛け持ちをしていた時期がありますが、肉体的なつらさはあっても、精神的にはとても楽でした。
人間関係がその都度違うし、どこかのアルバイト先の考え方を「絶対だ」と思わなくていい。
アルバイトだからその都度怒られるわけですが、それでも場所が変われば、同じことをしても意外と怒られなかったり、あるところでできなかったことが別のところでできたりとかあります。
ひとつのことが絶対じゃない、ということがわかれば心が自由になります。
怒られて、すぐ心がへこんでしまう人は大勢いると思いますが、そんな必要はまったくないです。
今の仕事がつらい、と思うならば、もっとビジネスライクに考えていいんです。
「お金だけの関係なんだから、なんでお前の納得いかないことを、そんなに兵隊のように聞かなきゃいけないんだよ」
と思ったって間違いじゃない。
実際に、口に出すのは問題かもしれませんが。
小さなデザイン会社だったんですけど、そこで出会った上司がすごくよかった。
話を聞くと、その人は名編集者として有名な松岡正剛さんのお弟子さんでした。
元々はスタジオミュージシャンだったんですけど、いろいろあってその会社でデザインの仕事をしていたんです。
その人が、僕の人生で初めて見た「楽しく働いている人」でした。
それまでは楽しく働いている大人を見たことがなかった。
へんに業界人っぽく気取るわけでもなく、非常に砕けた人で、会社に沢山の私物を持ち込んで、もはや仕事場が自室と化していた。
それまで「仕事は仕事」と考えていた僕にとって、カルチャーショックに近いものがありました。
自分の仕事とプライベートがシームレスに?がっているんです。
その人のオフィスの本棚を見たら、「この人は、こういうのが好きだから、こうなってるんだな」っていうのが完全にわかるくらい、リラックスした働き方をしていました。
「あぁ、なんか、これはおもしろいじゃないか」
そう思わせてくれる人でした。
そんな人だから、仕事の話をしていても、仕事とは思えませんでした。
「このデザインは、こういう風に考えてる」
「このデザインって、すごくおもしろくない?」
「あの看板、『な』の文字だけがちょっと下がってたりするの、なんでだろう」
などなんにでも、疑問を持っている人でした。
そうした疑問から、いろいろなデザインの背景を推測して、「こうやったほうが、よくない?」と考える楽しさを学んでいました。
普通、家に帰ったら多くの人は仕事の話ってしませんよね。
だけど、その人となら、おもしろい遊びの話をしている、というイメージだから苦になりませんでした。
こうした考え方は、今の僕の仕事のやり方にも、ものすごく影響を与えています。
いつもの道を歩いていて、「この風景はすごくいいなぁ」と思ったり、感じたことがあると、
「これを、どう書こうかな」
「ただ言葉にすると物足りないけど、こういうふうにしたらおもしろいんじゃないか」
本当に目に入るものすべてを遊びに、そして仕事に還元して考える。
「考えるための型」が身に付いたと言えます。
だから、大手企業に就職できれば安心、というよりも、その会社でどういった「仕事の型」を身に付けられるかだけ考えればいいと思います。
それには会社の規模はあまり関係ない。
自分に合った「型」さえ学べば、あとは自由業になろうが、転職しようが、仕事自体がつらいなんていうことは少なくなるのではないでしょうか(ただし、「型」があっても人間関係は改善しませんが……)。
その会社の上司には、「ものの見方」を教えてもらった気がします。
その「型」にはめてみると、世の中がおもしろく見えるんだっていうのがありました。
「会社に行っても、絶対に型にはまらないぞ!」と思ってたんです。
だけど、その人は、「型を応用すれば、仕事をおもしろくできるじゃん」というスタンスを教えてくれました。
その上司に言われたことでよく覚えているのが、
「君がやりたいことはわかるよ、すごく型破りなことがやりたいんだと思うんだ。だけど、型破りなことをやるには、一度、型にはまらなきゃいけないよ。じゃないと形無しになっちゃう」
という言葉です。
ただの言葉遊びに聞こえますが、いまだにその言葉は心に残っています。
世の中の人の多くは、真面目にやる、ということを、遊びを排除することだと思っていますが、それは間違いなんです。
真面目に遊ぶことが一番楽しいんですよ。
Kにそんな話をしたら、珍しく同意してくれました。
友人のマックス・ブロードが手紙のなかでこう書いています。
〝君は君の不幸のなかで幸福なのだ。〟
僕は決して「後ろ向きな生き方」を強く勧めるわけではありませんが、それを選ぶ自由は肯定したいのです。
後ろ向きの自由は、人との付き合いを減らし、孤独を友とする、選択肢を狭める生き方です。
失敗すれば、病気になったり、最悪死んでしまいかねない危険な道なので、できれば通らないほうがいいです。
ただし、選択肢が少なくなる分、入ってくるノイズが減ります。
そうしたことから、自分に対して冷静に観察でき、いろいろな考察が深まり、一生分の自信を得ることもあります。
これまでの人生において、みんな何度かは後ろ向きに考えてしまう時期がありませんでしたか。
それは多感な中学・高校時代かもしれませんし、働き始めて「やりたいこと」の壁にぶつかった時かもしれません。
そこでうまくバランスをとるためにも、「後ろ向きの自由」に慣れておくのは悪くないと思います。
映えない世界のほうが好きで、彩度の低い別に奇麗ではない花の写真とか、好きだ。気だるい春の温もりとか、中途半端な光とか。車窓から見えるものも、夜景や象徴的なランドマークなんかもそれなりに好きだが、別になんてことはない景色が流れてきては去る時間が私は好き。生ぬるい世界の生ぬるさの中で息をして、それが人生であるということに、私はむしろこんなとき、とても刺激を感じる。映えてしまえば、その見た目で満足しておしまいだけど、そうでないときどこまでも目に流れ込む景色になんとか興味を持ちたくて、集中力が高まっていくのを感じる。ちょっとした変な看板とか、歩いている人の持っている鞄(かばん)が派手なこととか、そんなことが一つずつ気になっていって、いつもなら気にしないそれらを目で追っていく。そういう無数の生活の底なしの情報に、五感まるごとで飛び込んでいってしまう時間。
@user-ir2kk2st6l
1 年前