2024年2月25日日曜日

毎日が新しい

サックス一家 タモリの音楽は世界だ 

ビリーブ さよならレザン 盲導犬とテノール歌手 七味
問いかけ続けなければ 先輩と自分と後輩 幸せ不幸せ

ストリュートビューの使い方
 何をもって練習なのか反復なのか
何で練習するのか
自分をあなたに聴いて欲しいから意味を求めて無意味なものがない 頭に溢れているもの
をこなす
今まで会った人の国の言葉を知りたい I'm studying English.
Eu estudo inglês.

Jeg studerer engelsk.

Studuji angličtinu.

Ich studiere Englisch.

我是学英语的。

저는 영어를 공부하고 있습니다

Studio l'inglese. 
Saya belajar bahasa Inggris. 
أدرس اللغة الإنجليزية.

聴いて、歌って、踊って、奏でる人生  明日死ぬなら
他人に迷惑をかける
やるべきことを全てやって死のう 採譜を途中まで
反復をやる余裕はないなぁ
リズムとバッキングをやりたい
人とやる時
それとは別に自分の気持ちの表現のための時間

コンビニ安心 濡れ地面霧





「別れる男に花の名を1つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。」という言葉があるけど、金木犀の香りが漂ってくるとあなたを必ず思い出すんだよ、志村さん。

私も最近にゅーいん中に出会いました。63歳ですが、前頭葉脳出血して思春期に戻ったみたいです。でも、ストレスなく、目一杯活動して子どもみたいにグーグー寝ます。毎日が新しい。鬱の人はちょっと脳を調整したらいいかもしれない。
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I feel like I have no place in the world except when jamming my Japanese rock and dreaming of things beyond.

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マニー・カーティス

フリー百科事典ウィキペディアより

マニー・カーティス(本名エマニュエル・カーツ、1911年11月15日 - 1984年12月6日)は、アメリカのソングライター。[1]彼は「イン・ア・センチメンタル・ムード」(1935年)や「レット・イット・ビー・ミー」(1957年)など、250曲以上の歌詞を書いた[2]彼は米国ニューヨーク州ブルックリン で生まれ、米国カリフォルニア州サンフランシスコで亡くなりました

彼は、マン・カーティスマニー・カーティスマニー・カーツというペンネームも使用しました


2024年2月21日水曜日

『話の終わり』

 ただやるだけ、やってしまう、それしかできない、やろうとしない。
平和へのアプローチ、環境問題へのアプローチ、リッケンバッカーベース
演奏してみた
分が自分を保てなくなったら
いつでも消え去っていい準備をする

楽しかった 
積立投資も、リスキリングも、知ったことではない ジャンクの勉強 ハードオフ巡り 自分がどうしたいか

自分を解放する勇気を持つ
その先が崖だったとしても 本質はいつもそこにあるよ 強くあろうよ 言葉が出てこない、どうしようもない瞬間があって、発言する勇気、呆れて言葉が出ないこともあって お疲れ様です
言葉が言葉たり得るのは、人が敬う同士の前提 実感が欲しい 表現のなかに

それが他人にとっては塵だったしても 切実になってくる 笑いたい

青春の中で生きている人 弱くても闘おう

洋楽楽器は向こうのひとにとって三味線みたいな感じなのだろうか?
管楽器も管みたいって言うし

酒に溺れたい自分を想像する

新宿の匂い、雰囲気を思い出そうとしている ワクワク感 ワクワクがない インターネットで低下している記憶力が寂しいから 写真を撮った方がいいのかな 誰か抱きしめて 母が住んでいた場所
父が住んでいた場所
新宿の匂いを嗅いで
今からの逃避を図って
何も楽しいとは思えなくて
ひたすら目の前のこと をこなして 泣いたっていいんだよ
叫んだっていいんだよ 他人は放置
心は自分を見ている 自暴自棄になっていたけど
最早それすらも
どうでもいいかと思う 人、酒、
どうでもいい とも

何処かで我慢している誰か
あなたわたし  おはようございます
キーボードの使い方
灘高の方が数学が苦手な人の特徴は反復が足りないからと言っていたので、なるべく毎日計算問題をできたら 量をやる

孤独のグルメと玉ちゃんねるを見てgoogleマップが豊か
 
なんか自分老けたな〜と思う 先輩からしたら気に入らないかもだけど
自分はハゲでも 老いても どちらでもいい
見た目を気にする脳がないし

押し寄せる情報 どうでもいい そこにある 人を傷つける論理 人殺しの論理 晴れた爽やかな日に聴くソフトミュージック みんな考え事 心を無にする 

考えないように
すぐ忘れる 



いじめられた優しさ 喧嘩制裁 酒 諦めない 計算会計 仕事は一種の睡眠薬 ライブハウスさよならと文学と匂い

夫と私 リディア・デイヴィス つながっている夫と私
 『話の終わり』が描く、到達しそうで決して到達しえない他者との距離は、掴もうとするとさら遠くなっていく。どこまでいっても他者への理解は自分の意識の内でしかないという諦め。それでも他者との間には語りえない何かがあった。『話の終わり』からはそういう静かな境地も感じる。

9v電池チェッカー オシロで図ってみる9v電池
アドラー心理学 過去は過去 今は今 未来は未来 変わらない理由をでっち上げている。 変わるための努力
空気からの逸脱 空気に水を差す
動画生成AI ディープフェイクに対して、見ないようにする、防ぐには

2024年2月17日土曜日

404 Not Found 

 嫌われる勇気と覚悟を、いつでも風呂上がりの気持ちを、すべてをさらけ出す覚悟を、死ぬつもりで、ステージでいつも。やる。
笑おうよ。
実存のために

なんで採譜してるか
自分の中に入れたいから
採譜した音や言葉の意味を咀嚼して落とし込むのは骨が折れる 昔の感覚を思い出す 次男と会ったとき 練習したとき音楽を聴いたとき とにかく懐かしさを糧にして今を生きる 懐の広さ深さ すべてを許す(許してしまっていいの?) 怒りの度合いをコントロールする 哲学教養自分の思想 悪人は教養がない? 確定申告のことは
一生を掛けても分からない
分からないことが分からない人は何か基礎的な練習が足りないしい
数学にしても、式を解く事を無意識下に落とし込むこと
静か耳がキーンとして、ジャズを聴く

動く動けない幸せ 人柱は必要だし 後姿を、見せる事 掃除して動くとスッキリする 整理される 漂白化社会に対して 痛快さ アホでいる事子供でいること冷静であること常にやること勉強すること

すべてを楽しもうとする。人としての哀れみ、慈愛、優しさ
空は相変わらず
そこにある

いつ死んだっていい 鋼の心
ひたすら逃げよう、俺は俺のままで生きよう。

『The revolutionary』で<世界が変わっても おれはおれのままさ>と歌う彼らに繋がる重要な楽曲だ。



モーニングページ アーティストデート
オートウェーブ
MIDI Global
ヤニ取り壁 酸性をアルカリ性で中和する物理
風立ちぬタバコ なんだか温かい



うるさく、チャラチャラしたものより、しずかな曲が、いい。

2024年2月14日水曜日

コンプライアンス どうしたらいいのだろう 漂白化社会について向き合うべき

ガーファを一人で
電気仕組み 物理の運動によって生み出される
仕事を楽しむ
調光ユニット
東京都港区東麻布のムサカとドルマーデス
毎日美容顔頭皮マッサージ 髪のケア頭皮ケア
合気道空手習いたい

採譜したことで身に沁みて分かることもあるけど呆気ない
コンプライアンス どうしたらいいのだろう
こんばんは
ギターケースの修理をした
確定申告のことは多分生涯をかけても理解できないと思う

一事が万事 人は何がきっかけで狂うかわからない
漂白化社会について向き合うべき


僕は今、携帯電話を持っていません。
 かつてはスマートフォンを使っていたのですが、ご存じのとおり、スマホは電話とメールは当然ながら、SNSやゲーム、動画、音楽、写真……あまりになんでもできますよね。
 そのせいで、僕は一日じゅうスマートフォンを見ている「スマホ廃人」と化していました。
 だからある日、契約を解除して携帯電話を持たない生活に切り替えました。
 はっきり言ってとても不自由です。
 飲み会に誘われたり、何気なく誰かとメールすることもなくなり、友達も減りました。
 イベントや待ち合わせに遅れたり、致命的なスケジュールの勘違いもありました。
 ですが、スマホ廃人になっていた頃より、心は自由です。

 あえて情報の入力を絞ってみてはどうでしょう。自分に必要な数の選択肢が見えてくるかもしれませんよ。


別々の仕事なら、それぞれ自分の立場は違うから、どこかが緩衝材になってくれるはずです。
 ある仕事がうまくいけば、「自分はこうしたものが向いているんだな」とわかりますし、その仕事の時間を積極的に増やせばいい。
 アルバイトを何個か掛け持ちしていたときの僕がそうでした。
 ガソリンスタンドとガードマン、そしてドライブインのアルバイトと最大3箇所の掛け持ちをしていた時期がありますが、肉体的なつらさはあっても、精神的にはとても楽でした。
 人間関係がその都度違うし、どこかのアルバイト先の考え方を「絶対だ」と思わなくていい。
 アルバイトだからその都度怒られるわけですが、それでも場所が変われば、同じことをしても意外と怒られなかったり、あるところでできなかったことが別のところでできたりとかあります。
 ひとつのことが絶対じゃない、ということがわかれば心が自由になります。
 怒られて、すぐ心がへこんでしまう人は大勢いると思いますが、そんな必要はまったくないです。
 今の仕事がつらい、と思うならば、もっとビジネスライクに考えていいんです。
「お金だけの関係なんだから、なんでお前の納得いかないことを、そんなに兵隊のように聞かなきゃいけないんだよ」
 と思ったって間違いじゃない。
 実際に、口に出すのは問題かもしれませんが。

「どこで」ではなく「だれと」が大事

 小さなデザイン会社だったんですけど、そこで出会った上司がすごくよかった。
 話を聞くと、その人は名編集者として有名な松岡正剛さんのお弟子さんでした。
 元々はスタジオミュージシャンだったんですけど、いろいろあってその会社でデザインの仕事をしていたんです。
 その人が、僕の人生で初めて見た「楽しく働いている人」でした。
 それまでは楽しく働いている大人を見たことがなかった。
 へんに業界人っぽく気取るわけでもなく、非常に砕けた人で、会社に沢山の私物を持ち込んで、もはや仕事場が自室と化していた。
 それまで「仕事は仕事」と考えていた僕にとって、カルチャーショックに近いものがありました。
 自分の仕事とプライベートがシームレスに?がっているんです。
 その人のオフィスの本棚を見たら、「この人は、こういうのが好きだから、こうなってるんだな」っていうのが完全にわかるくらい、リラックスした働き方をしていました。
「あぁ、なんか、これはおもしろいじゃないか」
 そう思わせてくれる人でした。



自由に考えるために一度「型」にはまる

 そんな人だから、仕事の話をしていても、仕事とは思えませんでした。
「このデザインは、こういう風に考えてる」
「このデザインって、すごくおもしろくない?」
「あの看板、『な』の文字だけがちょっと下がってたりするの、なんでだろう」
 などなんにでも、疑問を持っている人でした。
 そうした疑問から、いろいろなデザインの背景を推測して、「こうやったほうが、よくない?」と考える楽しさを学んでいました。
 普通、家に帰ったら多くの人は仕事の話ってしませんよね。
 だけど、その人となら、おもしろい遊びの話をしている、というイメージだから苦になりませんでした。
 こうした考え方は、今の僕の仕事のやり方にも、ものすごく影響を与えています。
 いつもの道を歩いていて、「この風景はすごくいいなぁ」と思ったり、感じたことがあると、
「これを、どう書こうかな」
「ただ言葉にすると物足りないけど、こういうふうにしたらおもしろいんじゃないか」
 本当に目に入るものすべてを遊びに、そして仕事に還元して考える。
「考えるための型」が身に付いたと言えます。
 だから、大手企業に就職できれば安心、というよりも、その会社でどういった「仕事の型」を身に付けられるかだけ考えればいいと思います。
 それには会社の規模はあまり関係ない。
 自分に合った「型」さえ学べば、あとは自由業になろうが、転職しようが、仕事自体がつらいなんていうことは少なくなるのではないでしょうか(ただし、「型」があっても人間関係は改善しませんが……)。

 その会社の上司には、「ものの見方」を教えてもらった気がします。
 その「型」にはめてみると、世の中がおもしろく見えるんだっていうのがありました。
「会社に行っても、絶対に型にはまらないぞ!」と思ってたんです。
 だけど、その人は、「型を応用すれば、仕事をおもしろくできるじゃん」というスタンスを教えてくれました。
 その上司に言われたことでよく覚えているのが、
「君がやりたいことはわかるよ、すごく型破りなことがやりたいんだと思うんだ。だけど、型破りなことをやるには、一度、型にはまらなきゃいけないよ。じゃないと形無しになっちゃう」
 という言葉です。
 ただの言葉遊びに聞こえますが、いまだにその言葉は心に残っています。

 世の中の人の多くは、真面目にやる、ということを、遊びを排除することだと思っていますが、それは間違いなんです。
 真面目に遊ぶことが一番楽しいんですよ。
 Kにそんな話をしたら、珍しく同意してくれました。

友人のマックス・ブロードが手紙のなかでこう書いています。

〝君は君の不幸のなかで幸福なのだ。〟

 僕は決して「後ろ向きな生き方」を強く勧めるわけではありませんが、それを選ぶ自由は肯定したいのです。
 後ろ向きの自由は、人との付き合いを減らし、孤独を友とする、選択肢を狭める生き方です。
 失敗すれば、病気になったり、最悪死んでしまいかねない危険な道なので、できれば通らないほうがいいです。
 ただし、選択肢が少なくなる分、入ってくるノイズが減ります。
 そうしたことから、自分に対して冷静に観察でき、いろいろな考察が深まり、一生分の自信を得ることもあります。
 これまでの人生において、みんな何度かは後ろ向きに考えてしまう時期がありませんでしたか。
 それは多感な中学・高校時代かもしれませんし、働き始めて「やりたいこと」の壁にぶつかった時かもしれません。
 そこでうまくバランスをとるためにも、「後ろ向きの自由」に慣れておくのは悪くないと思います。

映えない世界のほうが好きで、彩度の低い別に奇麗ではない花の写真とか、好きだ。気だるい春の温もりとか、中途半端な光とか。車窓から見えるものも、夜景や象徴的なランドマークなんかもそれなりに好きだが、別になんてことはない景色が流れてきては去る時間が私は好き。生ぬるい世界の生ぬるさの中で息をして、それが人生であるということに、私はむしろこんなとき、とても刺激を感じる。映えてしまえば、その見た目で満足しておしまいだけど、そうでないときどこまでも目に流れ込む景色になんとか興味を持ちたくて、集中力が高まっていくのを感じる。ちょっとした変な看板とか、歩いている人の持っている鞄(かばん)が派手なこととか、そんなことが一つずつ気になっていって、いつもなら気にしないそれらを目で追っていく。そういう無数の生活の底なしの情報に、五感まるごとで飛び込んでいってしまう時間。