もうなんでもいいや、嫌われても仕事は仕事でいいし、嫌だったらやめれば良いし、
毅然とする。俺は俺だよ。みんなもそうだろ、多分。
人間はわからないし、コロナも意味不明だし、未来なんて尚更わかんないし。
チェーンソーマンをたまたま読んで、主人公のセリフで「普通の暮らしでよかった」と言っていて、妙に感情移入してしまった。
俺はなんで社会の全体を捉えようとしたのか、分からなくなった。
主人公は「普通」を渇望している、普通とは。
普通になるためには「普通」を演じなければ手に入らない、普通は姿勢ではなくて、人として社会に参加するためのもの。
演じるというのは難しい、心が拒絶するのがわかるから。
俺は五体満足で毎日ご飯を食べているけど、足りない。
足りないように思う、もっともっと欲しがってしまう。
欲張って夢見てしまう、夢見てしまったらもう進むしかない。
それは誰だって同じ、夢や無駄がなければ無だ、無の人生、そこに無というものが有る、その無が心を満たしてくれるなら素敵。
満たしても満たしても足りないのかもしれない、けど。
夢の話を聞くのが好きだったポチタのことを想う。
夢を見せて欲しい。
俺の普通じゃ「普通」にはなれない、気がする。
だったら妥協点見つけるしかないよね、というお話・・・・。
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