2019年12月14日土曜日

人類のサンプル

気持ち悪くても、若者をやめて大人になっても、投げやりになっても、罵倒されても、
やり続けている事をやめない。

なぜやめないのか?
家族に褒められたかった、モテてみたかった、認めて欲しかった、
それは暴力的なほど求めていた。

エフォートレスマスタリーを読んだり、禅のことを勉強して思ったのは、
自問自答し風呂に入って運動して寝るというのが大事。
でも分からない、自分のなかに根拠のない自信がある。(自信という脳のまやかしだろう)
ふいに現れる不安に覚悟を決めて対処していく、厳格なイメージではない。
ただなんとなく寂しい。寂しいから、こんなことを思うのか。
多分、冬のせいでネガティブが強いんだろう。

いろいろ書くことがあったような気がする。
ぼーっとしているうちに物事は通り過ぎていく。
会いたい人もいる、会いたくない人もいる、やりたいことも、やりたくないこともある。
下手でもやる、何を言われたってやる、ただただ結果だけ見て没頭しよう。
思考も自分もないような気がする、それが禅から学んだ気もする。
無責任な無ではなく、自分なりの無、没頭、あるものはない、ないものはある、ということは自分の内面に耳を済ますということ。
静寂も音楽。さっきnhkで放送していたピアニストの特集でも語られていた。

自分はただただぼ〜っとしてしまう、
1日の終わりに風呂に入って何もかも洗い流すイメージを持ったときは新しい何かが生まれることが多い。

お金も、地位も、名声も、なるべく置いといて、自分のなかに耳を澄ましてみる。
もちろん欲はある、そのうえで本当にやりたいことなのか?考えてみる。
サックス奏者のファラオサンダースさんは酒もタバコも性交もしなかったという。
禁欲も、宗教も、思想も、自分が信じられるかどうか。
主観であり、自己満足であり、協調的でいられるか、周りとどう生きるかという問題に対してできあがった自分の信じるものが、凶と出るか吉と出るか分からないが、
周りの人は参考にしてもらえたら、少しは人類のサンプルになる。

分からないけど。



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