なにかが開くような感覚を覚えた、たまにははドライブしようと意気込んだ矢先のこと。
漫然運転で移り変わる景色を見ながら、やはり音楽はどこかへ連れていってくれるものだと確信した。
よくも悪くも半ば強制的に空間を支配できる。
ボーッとするには電車で移り変わる景色を見ながら、散歩しながら、と本で読んだ。
ただし車の漫然運転は要注意。
自分が住んでいる場所なのに、何も知らなかった。後悔しても仕方ない、いまからひとりでも楽しめばいいと開き直って。
他人は自分の知らない「ほったらかし温泉」や「美味い〇〇のお店」のことを知っていて、すこし落ち込む。
いまだに道の名前や地域、まともに覚えていない。それほど興味がなかった。
そういった常識のなさ、欠落が惑いを生み出しているなら、それが個性なら、自分て何だろう。
田舎と都会の差って、地域のアイデンティティって、表現と利他的利己的な活動のバランス、自己中心性と結果と意味と本質って、
世の中は嘘が満ちている、けどそれも錯覚かもしれない、常識も嘘も疑ってはいるけど、決断に後悔や孤独は付いて回るものなんだなと思った。
感傷に浸りたくない。ただ整理の過程を記す。
開いた感覚を誰かに、退屈を持て余している誰かに教えたい、けど伝わらないかもしれない。
余計なお世話かもしれないけど例えば暴力に明け暮れている人に教えたらその人にとって世界はどう変わるのだろう。
SHIRANE。
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