議論は楽しいけど、本当の意味に基づいて行動すること、楽しく議論することは違う。
行動において同調や共感はオマケのようなもの。
共感、肉体的なアクションは楽しいけどね。本当のところは誰にも分からない。
今日はジャム、ライブやセッションの度に演奏すると何を言われるんだろうと身構える。
でも今日は、そういったものに対して諦めている。
あぁなんかもうどうでもいいなぁ、と思っている。これはいいことなんだろうか?
なんだか悪そうな気がする。いつも中学生のころに音を出した原体験の楽しさを思い出して、今と比較して。
自分は何のために音楽をやっているんだろう?
こいうのは抽象的なことが多いので、簡単でわかりやすいのが、金のため、或いは生きていくため。
いやでも金が無かったら働くだけだし、音楽でお金を得るということがどんなことか。
誇りを持つことだろうか、誇りを持つためにはどれだけの痛みと労力を音楽に注ぎ込むべきだろうか。
お金=悪ということではなく、音楽でお金をもらうライン、精神的な部分、社会的なことが混ぜ込ぜになっている気がする。
音楽にお金を得るための価値があるならあったほうがいいし、
生きるためだったら、なんとかして生きればいいだけの話。
そこに余計な精神や思想や感情はいらないし、やればいいだけの話じゃん。
主観しかないなら、自分はそいうにやる。
でもどれだけやっても、本当にお金にならない。いや自分に使えるお金はない。
すこし方向転換しないとな〜と考えている。
真実かなんて 人と話すしかない メディアはきっかけ snsは軽く表明する場所ではない 喜怒哀楽狂 遊び
茶化さない
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