やれども、やれども身に入ってこない。ということはこの努力はただの徒労でしかないのだろうか。
目に見えない価値、違う価値に置き換わっているのだろうか。
行けるのなら、いずれここではない違うどこかに行きたいと思う。
ただの現実逃避だろうけど。
作業や仕事に熱中してるときはいいけど、ふとしたときに街行く家族や男女を見ると、悶々とする。
今まで自分はなにをやってきたんだろうって。
目に見えない感動に携わってきたつもりだけど、ふわっとした曖昧なものはいつか忘れる。
感動は定期的に摂取しないと、忘れ去られてしまうのだ。
それって、悲しいことだと思う。
でもそれだけが人生ではない、ポジショントークと俯瞰で複雑怪奇な社会を想像する、
どんなにやったって死は訪れる、だからいつ死んでもいいという心構えが必要だよね。
用意できたら自分に何ができるのか、とにかくやるしかない焦りと余裕と不安があるよ。
他人や社会に対して後悔もあるし、楽しいこともあったよ。だけど死がすべてを覆うなら考えても仕方ないなって思う。
すこし寝てまた考えよう。
やよい軒でスーパーカブ、ゆるキャンを一緒に家族で見て、聖地巡礼をする家族がいることをしった
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