たまにこんな陰鬱な日記ばかり書いていていいのだろうかと思う。
反省、後悔、喜び、悲しみ、に対して何ができるのか、意味を探るという意味。
陰鬱だから日記なのか。
もう意味は考えたくない。
他人の人生も、愚痴も、聞きたくない。コロナのことを聞くだけ気持ちが暗くなる。
インターネットも、音楽からも、耳も目を塞ぎたくなる。
ありとあらゆる外界からの刺激を明日はシャットダウンする。
それをやれば回復できるから大丈夫。
陰鬱な気持ちや怒り憎しみから解放される。
それの繰り返しだよ、でも2,3年前だったら怒りにまかせて物を破壊したり、人に当たり散らしていた。
今はすこしマシになって、「こいう日もある」と俯瞰できるようになった。
絶望は緩和できるよ。
俺は、僕は、自分は今年で28歳になる。こんなんで大丈夫なのだろうか。
みんないずれ死ぬ、今しかないけど、自分もいずれ死ぬときは死ぬから、まぁいいか。
冬だから、コロナだからっていうのもあるけど、自分の怒りを発散させてしまいそうになる。
もう無理をしない、ありとあらゆる暗さから俺は逃げる。申し訳ないけど、他人のことまで背負えない。
もううんざりだ、本当に。しんどい。
「みんな辛い」という言葉を扱うたび、悶々とする。本当にそうなのか?
見えない不満、見える楽観的なもののギャップに戸惑いつつ、怒りつつ、見て見ぬふりを明日はさせてくれ。
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