2025年8月1日金曜日

魂を込めないことこそ不純

 死ぬ気で 生きる気で死ぬ
同軸ケーブルインピーダンス 反射のイメージがわかる




人間万事塞翁が馬 濡れ手で粟

エアコン富士通 掃除しなければ

これからも傷つくこと沢山あるだろう だけど出会うこともある
さよならを言わずに終わった関係 さよならはない
あらゆる音楽を聴く 答えに辿り着かない
何もかも歴史に名を残さないものたちの功績 勉強とは引っ掛かりを残すため さよならを言わずに終わった関係 夢 希望 モノクロだった世界が鮮やかに その人がいなくなった今でも ネットのコメントに庶民がいる それでも好きで離れられない 自分だけが見たい証明する あなたがくれた幸せと痛みも全部引きずりながら前に進もう 自分を灯火に生きていこう 物事の本質は年齢によって変わってくる 
分からないまま進むの当たり前 
もう何も向き合って話してはくれない もうどうでもいいや
あちらが立てば、こちらが立たず
芸術には無限の答えがある ただ込められてないものは 伝わらない 受け手は感じる解釈することしかできない
大吾さんの数学

電気回路とマンホールと物質 確定してない 風を感じたい 重力が因果を超える
余裕を持つため諦める
諦めたら始まる
納得するまでは諦めない お疲れ様です
理解とは納得
納得することで万物に繋がる。
分からないことを認めるのも大事。
量子力学では不確定が確定?している。 

頑張ろう 人間にも音楽にも冷めた 興味を失った
感謝とは芸術だ ドライブ 笑顔 幸せは幻 

お疲れSummer 
もう少しで分かりそうで
分からない。
分からないということが分かる。
分からなさを受け入れながら進める。
分からなくても人は扱える。
量子力学はともかくとして、
自分にとって
古典物理学を納得することが、必要だった ✅ ミクロ(原子・電子・光子など)
量子力学が支配
原因があっても、結果は確率でしかわからない
例:電子がどこに出現するか、観測するまで確定しない

✅ マクロ(私たちの現実・日常)
多くの量子が集まると、平均的に「決まったように」振る舞う
火がつくのは、分子運動や化学反応が多数の原子の量子的ふるまいの「結果」として確率的に収束している
結果:ほぼ確実に予測可能 分かり合えないから闘う 
おはようございます
波紋
果てを見に行きたい
ネットは見ない
頑張ろう
何とか

表現したいものが
ない
あるとしても、躓いてしまう

コロナを忘れようとする世界、いつまでも忘れられない
自分も前を向いて、新しい世界に行かなくては



永遠主義(ブロック宇宙)
全ての瞬間(過去・現在・未来)は等しく「今ここ」に存在している

並列抵抗の電位が同じというイメージ

お疲れ様です
すべてどうでもいいんだな

どうでもよさに対しては、どうでもいい
なぜなら どうでもいいと思っているから

自分は自分をどうでもよく思っていない
から もう
色んな人仲良くなる
という希望がなくなった

それが現実
元々そいう世界

だから、SNSも意味ないんだと思う

みんな黙っていなくなくる

残ったのは、その人からの問い
静寂 沈黙 暗黙の了解 
他人から強制的に押し付けられるものとは性質が違う  黙っていなくなることが、他人に確認するまでもなく、そいうことなんだと分かるのに時間がかかる 日向ぼっことラテン みんな敵 家族すら  猪狩は自分怒り



芸術を破壊すると、芸術はより強くなる」
「永遠の警戒は自由の代償であるだけでなく、人間の良識の代償でもある」

分母・分子の両方に最小公倍数をかけるのか?

✔ 結論:

**分母だけにかけるのではなく、**その分数全体を変えずにするには、分子にも同じ数をかける必要があります。

なぜなら:

分数は「比率」であり、分母・分子を同じ数でかけても、値(大きさ)は変わらない。

例:

12=1×32×3=36\frac{1}{2} = \frac{1×3}{2×3} = \frac{3}{6}

→ このように、同じ数を分母と分子にかけると、分数の「値」は変わらないのです。

だから、通分するときは:

他の分数の分母に合わせるために、「その共通分母を作るために、分母と分子に同じ数をかける」


✅ 3. なぜ「かけてよい」のか?(数学の原理)

これが最も深い質問で、答えはこうです:

数学では「等式の両辺を同じ数でかけたり割ったりしても、等式は成り立ち続ける」からです。

これは「等式の基本性質」として、小学校・中学で習います。

だから、分数において:

ab=a×nb×n\frac{a}{b} = \frac{a×n}{b×n}

→ これは常に正しい。この操作によって値は変わらない


実例で見てみよう:

並列抵抗の式:

1R=R1+R2R1R2\frac{1}{R} = \frac{R_1 + R_2}{R_1 R_2}

両辺の逆数をとると:

R=R1R2R1+R2R = \frac{R_1 R_2}{R_1 + R_2}

これはよく使う「2抵抗の並列接続」の公式です。
もとの式が等しいのだから、逆数も等しくなるのは当然ですね。


✅ イメージ補強:逆数の対称性

  • 1/2 の逆数は 2

  • 2 の逆数は 1/2
    → 互いに「行ったり来たり」できる

同じように、

  • 1/R = A/B
    → R = B/A
    というのは、逆数の性質そのものです。


✅ まとめ

質問答え
なぜ両辺ひっくり返していいの?等式の両辺に「逆数をとる」という同じ操作をすれば、等式は保たれるから
どんなときOK?分母・分子ともに 0 でないとき(0 では割れない)
これはルール?はい、数学の論理に基づく基本的な操作です

このあたりの「操作の意味」や「等式がなぜ成り立ち続けるのか」に注目しているのは、非常に数学的な思考です。さらに方程式の扱い方や証明にも進みたい場合、いつでも言ってください!


◉ では、売ったら純粋じゃないのか?

これはよくある疑問ですが、売る=不純とは限りません。
むしろ、人間社会の中で長く演奏を続けていくためには、適切な経済との接点が必要です。

🔹「売ることで腐る音楽」もあれば、
🔹「売ることで育つ音楽」もあります。


◉ まとめ

視点売る理由買う理由
生きる生活の手段、職業として日常の癒し、感動、娯楽として
伝える多くの人に広めるため感動や共鳴を得たいから
つながる自分の音を届けたい誰かとつながりたい、支援したい

「演奏」は心の活動、
「売買」は社会の仕組み。
どちらも、人間が生きることと向き合っている証です。

売る=不純」という考え方は、音楽や芸術における純粋性本質的な動機をめぐる、長い文化的・思想的な議論から生まれたものです。


◉ 「不純」とされる背景には何があるのか?

1. 「お金のためにやっている」と見なされる不信感

人は「心からの表現」を求めます。
しかし誰かがそれを金儲けの手段にしているように見えると、聴き手は「本当に伝えたいことがあるの?それとも売れるものを作ってるだけ?」と感じてしまう。

🔸たとえば:

  • 売れ線ばかり狙った歌

  • 量産された「中身の薄い」作品
    こうしたものに対して「魂がこもってない」と感じる人もいます。


2. 芸術は「神聖」であるという理想主義

多くの文化では、音楽や絵画などの芸術は「人間の魂の高み」や「真理を求める行為」とされてきました。
そのため「金銭」という現実的で利己的なものが絡むと、崇高さが汚されたように感じるという価値観もあります。

🔸「お金のために芸術を使うなんて、崇高な行為を汚している」という発想。


3. 大量消費社会と商業主義への反発

特に20世紀以降、大量生産・マーケティング・アイドル産業・ランキング競争などによって、音楽が「商品」として消費されることが増えました。

🔸この流れに違和感を持つ人は、

  • 音楽が「中身より売れ行き」で評価される

  • アーティストが「顔や話題性」で売れる
    こういった現象を「不純」と感じやすくなります。


◉ でも、売ること=不純とは限らない

むしろ、以下のような立場もあります:

◉ お金は「感謝の形」

「この音楽が自分を救ってくれた。だからその対価を払いたい」
これはとても人間的な交換です。

◉ 売ることで続けられる

お金がなければスタジオも機材も借りられない、時間も取れない。
表現を続けるためには、経済的な基盤が不可欠です。

◉ 「売るかどうか」よりも、「何のために売るか」が大事

魂を込めて作った音楽を広めたい。その手段として売る。
それはむしろ「純粋な目的」かもしれません。


🔍 まとめ:

「売る=不純」という考えには、以下のような前提があることに注意が必要です:

前提問い直せる視点
お金は汚い→ 感謝や価値の交換でもある
売れるもの=薄っぺらい→ 売れても深い作品はある
純粋な音楽は貧しいべき→ 継続するには経済も必要

💬 最後に:

「売ることが不純なのではない。
魂を込めないことこそ不純なのだ」
という考えもあります。


もしあなたが「自分の演奏を売ること」に迷いや葛藤を感じているのなら、
その気持ち自体が、すでに音楽に対して真剣で誠実な姿勢のあらわれだと思います。

🔍 もう少し具体的に:背景に球の表面積がある

たとえば以下のような力の式を考えてみましょう。

  • 重力:

    F=Gm1m2r2F = G \frac{m_1 m_2}{r^2}
  • 電場の強さ:

    E=14πε0qr2E = \frac{1}{4\pi \varepsilon_0} \cdot \frac{q}{r^2}

これらは実験結果理論的導出から出てきた式ですが、
これらの導出では「力や場が球対称に広がる」という前提があります。

たとえば電場の式は、ガウスの法則から導かれます:

SEdS=qε0\oint_S \vec{E} \cdot d\vec{S} = \frac{q}{\varepsilon_0}

ここで、球面を選ぶと表面積が 4πr24\pi r^2 なので、

E4πr2=qε0E=14πε0qr2E \cdot 4\pi r^2 = \frac{q}{\varepsilon_0} \Rightarrow E = \frac{1}{4\pi \varepsilon_0} \cdot \frac{q}{r^2}

つまり、

見えなくても、分母の r2r^2 は「球の表面積」の部分から来ている。

完全に自分本位でいいんじゃないかな 表現者・音楽家・芸術家は 

そうじゃないといけないとさえ感じるよ 

たしかに離婚してどん底にいたとき、ひたすら歩いてた。止まるとヤバい思考になってしまうからひたすら歩いていた。

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わかったと思っても、実は全然わかってなかったりするから、わかりやすい授業ほど自分で説明できるか試してみるべき

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