2024年4月3日水曜日

辛捧(しんほう)

 もっと先に
間違わないと先に進めない
良くも悪くも
感じ方はそれぞれ合ってよくて
その心の持ちようを聴くのであって
そのためには色々なことを知らなくてはならなくて
破壊も必要 おはようございます
何で自分のやっていることは不快に思われたり嫌われたりするのだろうかと思ったときに

むしろ間違った行為をしているから
その反応は正しくて


自分で意図して間違って不快にしているわけではなくて
そこはすみません?なのか分からないけど

そいう意味では納得した
むしろそいうスタンスで音を出すとき、ステージに立ったとき
満身創痍だし、命懸けだと思う
相手によって怒り狂う場合もあるわけだから

でもだからといって
辞めるわけないかない
辞めるべきではない 
自分のなかに
奇抜なことをやって不快にさせようって意識はないのだけど
結果として不快になってしまう
それは正しい反応

色々言われたりするのは悲しいけど
付きまとう おはようございます
自分のままでいるには
いろんなものが必要で
たとえ弾圧されても
心は自由

嘘も建前も自由だよ
感じ方も自由だよ おはようございます
表現において
不快にさせてしまうというおそれがあるなら
覚悟ができる

自分はそれをやってしまう、やりたい
覚悟を持って不快にさせるおはようございます
表現において
不快にさせてしまうというおそれがあるなら
覚悟ができる

自分はそれをやってしまう、やりたい
覚悟を持って不快にさせる 張り裂けそうになるけど自分自身に縋る

時代には逆らえない

屈辱的でも相手に頼らない
鈍感であること
直視しつづければ、破滅の道しかないのではないか

現実と妄想の間を生き、
演じることも自然になっていく。

アラブインド音楽を聴いて過去と未来と今がつながる不思議

こんばんは
光が量子だと分かったら
ただの光

光に意図があるなら
自分も量子の一部として役割を果たす

朝も夜も春夏秋冬も
同じ

 同じ人として
同じことはしないし、
人と思うこともなかったりするけど
同じ作用、同じことをする可能性がある
人として
どう決断するかいつも問われている
それが人を殺める可能性だってある
誰も責任はとれない

だけど覚悟を持ってできる こんばんは

CDケースのフチが
光って
クリアケース、メタリックな憧れを思いだす こんばんは
独りになれるなら
最高

甘えの皮を被った優しさはいらない、愛もないのなら
独りでええわ 人
破滅ですらない 考えても破滅する未来 お疲れ様です
人は
自分の首を自ら
締め上げている 言葉も音楽の一部だろうけど
行為が行われている間は忘れられる
いろんな瑣末ごとから
忘れる為に音楽を
やっているわけではない ?お疲れ様です
公演が行われているときのテロ行為が外国であった
このことから
いつだって暴漢に襲われないなんて保証はないし
みんな命懸け

音楽に国境はないというのも事実だけど
寝首を襲う卑怯さ
ルールもモラルも崩壊した世界でどうやって生きるの お疲れ様です
綺麗事言うのも大事
現実に向き合うのも大事
報われなくても実践していくのが大事
諦めずに

ルールのようなもの   思考も手法も練習も
解体
幾らでも言葉区切られるけどそうではないところに行きたかった
感じないといけない お疲れ様です
感じる
肌に鼻に
むぅむぅと ひたり
すーっと
くちゃくちゃ
ぼーっと
くしっ
ふぅ
がり
ガタガタガタ!
ブリブリ!
バン!!!!!!
あなた
あ”な”た”だ! Tiktokで兵士
が笑ったり食べたり
クラシックピアノを弾いていている姿、大砲を撃ったりするのを見て

動画、フェイクなのかは知らない

どこか無機質で
実際殺し合いのなかで、肉は引き裂かれ痛みの中にいる人たち
命の価値も解釈も
どこかの次元で共有され
異なる

死んだ人たち
に対して
これは意味のあるものだって言えるのか
人間はどんな意味があって
殺し合うのか

どこまで行っても分からない こんばんは
 練習してライブのこと考えて
まずは平和というより
平穏を守るところから始める自分
そいう線は引けばいい 

お疲れ様です
我慢(現代では思い上がりに気付く)という意味から
慢心と同義で

我慢(現代)することに我慢(仏教だと驕り高ぶる心)していた
我慢するは無限に続く気がする

これからは辛抱を使った言葉の方がイメージしやすい
耐え忍ぶ、持ち堪える、生き残る、残存、堪え忍、持ち堪える、生き延びる、忍苦、踏み留まる、悪足掻き、粘る、辛捧 お疲れ様です
災害や戦争
人が人で在り続ける限り
続いていて
その中で一般市民として悪足掻きだけども何かするしかない という

争いも常にそこら中にあって
明日は我が身でもある
暴力に対する恐怖が支配していく 辛捧って良い言葉だな
我慢より誰かに捧げている方がいい お疲れ様です
辛棒(しんぼう)を辛捧(しんほう)と読み間違えて、何か良いなって思って
辛さを何かに捧ぐ
それが曲だったり詩に捧ぐ

辛さを勝手に捧ぐ
捧げる受け皿がある

我慢は慢心だけど
辛捧だったら流れる
ゴミ捨て場というのかな
まぁ何でも良い

辛抱したら辛捧する

覚悟を持って
人と関わろうと思います

機械のように生き、別れる勇気を持つ、やめる勇気を持つ
お笑い芸人も嘘笑い ミュージシャンも嘘反応 なんで反応するのだろう 反応すると面白いから?

こんばんは
自分は音楽のことは知らないなぁて思う歴史も知らない
知らないからやってはいけないということではない
ただつまらないかもしれないし
知らないことは知らないし
たまたま出会えた人と
たまたま活動ができている 世界が変わってしまって
置いていかれた気分
でもずっと置いていかれたのかもしれない 自分の慣れしたんだ考えや世界にお別れをするの 日常でも
傷付け合いは
止められないんだな
と思って
自分も相手を傷つけるし
守りたいし
傷付けることに自覚的であるか受け手は敏感にならなくてはならない お疲れ様です
凄い人や
凄いことをする人はたくさんというか、印象に残る分だけ居て、
じゃあ自分の存在意義を考えたときに、特に未来も過去もない経験のない自分の出来ること
戦争や、宗教、環境問題、ハラスメント、言葉、思想、他人の噂話まで問われている

言葉の暴力はあるし、自分も言葉の暴力で殴っている
漂白化された世界で
自分は生きていけるのか分からない
今あるこの状況も漂白に向かった結果

お疲れ様です
世界が変わって
もう前には戻れない
漂白化された社会や世間になっていく
それも幸せか
その中で自分や他人は生きていけるのだろうか
言葉にできないものたちは容赦なく振るい落とされ

今できるのは祈り お疲れ様です
世界が変わって
もう前には戻れない
今できるのは孤独の祈り
そこで
甘えたら終わり 深海に潜る逃げる

基礎は難しい 部分を積み上げて全体を理解するのでなく、全体を把握することによって部分を理解するのです。

あえてつらい経験をする、あえてじゃなくても勝手にやって来る
どこかで耐えてくれる人のおかげ



 人はみんな大人になるにつれて、家から離れることになる。それから仕事で自信を持ったり、恋人と一緒に新しい家庭を作ったり、趣味やボランティアに没頭したりと、いろいろな居場所を見つけていくんだと思うんです。でも主人公はそれをやらない怠惰な子なんですよね。自分には少しでも価値があると感じないと、人間として生きているのが辛い。その拠り所がいまだに平和だった時代の家族だったというのは、私の自省も含めつつ書きました。結局、歌舞伎町にいるときだけはどういう家や学校の出なのかという外の社会でものを言う肩書きが全くリセットされる。それを失ったことに気づかされない街だから、出られないのかなと想像しました。

これからの時代は無能を認める勇気です。(親に対する無力感、対決)無を認めると有になるんです。

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