2021年6月24日木曜日

万事塞翁が馬

貫き通す覚悟が足りなかった、馬鹿みたいに何かを守らなくてもよかった。くだらないことに固執していた。

人前で裸を晒してもいいと覚悟を決めろ。
あらゆるものを飲み込み受け流すイメージを持て。
暴力、思想、批評、嘘、真理に対して対策を重ねろ。
なにが巻き起こるか分からない。起こったとしても対峙していく。それだけのこと。

諦めて次に進め、新しいものを作れ。他人に執着するな。
我慢で得た自信は傲慢に繋がる、捨てろ。
やりたいようにやれ。

悔いはない あったとしても諦めろ。

20210624
最近は朝起きて、やることを終わらす。
もうなにもない、あるのはこなしているフローな心。
朝の空気の匂い、雨が肌に当たる感覚、空を眺めながら、一日が嫌になっても、朝と風呂がすべてを洗い流してくれる。

2021年6月17日木曜日

ひとまず

 最近は時間割にそって動いている(前日記参照)
そのおかげで動けている、やる。

あとお金のことのも、よく調べている。
簿記とか、費用とか、内訳とか、いままでよくわからなかったことが見えそうだ。

お金のことって、なんで今まで分からなかったんだろ。
誰も教えてくれない、自分も興味を持って動こうとしない。

本当は体を動かし、呼吸ができる地球があるのに、どこまでももがき苦しみたいのだろうか。

「わからない、考えたくない、眠い、考えてもたどり着かない」

そいうときはひとまず寝よう。

2021年6月15日火曜日

全うして欲しい

毎日憤るような思いを感じるけど、これは自分が勝手に選択している。
自己啓発本や心理学で学んだ。

最近リリースされた宇多田ヒカルさんの「Pink Blood」の歌詞で
「傷つけられても 自分にせいしちゃう癖 カッコ悪いからヤメ」という一節を聴いて、自分で自分を痛めつけるようなことはやめようと決意した。
選ぶのは自分、どう解釈するかも自分。だったらどうする?
なるべく自分が前に進める方向を選択したい。だけどバランス、自分と向き合うのは苦痛だけど、瞑想と書き出しで感情を落ち着かせ行動に移していく。

坂口恭平さんのnoteで事務に関することを連載している。
事務、計画、簿記を見積もることで人生をすこし円滑に進められることが分かった。
自分のダメさも見積もり、計画に失敗はつきものだから余裕を持って計画する。

日々、メガロボクス2の事を考えているよ。
皆には生を全うして欲しい。



マッサージ 時間割 日記 ナタリー

2021年6月8日火曜日

そういうもの

朝起きる、勉強する、出勤する。
朝8時台の社会は人で溢れていて驚く、朝の匂い、自分の部屋の匂いを嗅いで引っ越した当初の気持ちを少し思い出す。

だけど、アングラ、音楽の表現に誰も興味を示さない。
故にニッチ。
そういった分断は、比較、相違は当然なのか。万物には違いがあって普遍的。
違いや不平を憂うのではなく、「そういうもの」と受け入れたうえで行動できるのか。



理由をはっきりさせる 表現しない アナログ 目を使わない娯楽 日記理由をはっきりさせる 表現しない アナログ 目を使わない娯楽

2021年6月2日水曜日

そっと離れることにしよう

 人間の脳は不思議。
tiktokでかえるの鳴き声を裏拍に置いて、ピアノ伴奏をしている人の動画を見た。
かえるの鳴き声が段々と表拍に移る、不思議な感覚に陥る。メビウスの輪のなかにいるような。
それはクラシックのグルーブのしなやかさがあり、自分にないもの。
いかに自分が普段、型に嵌っているか分かって勉強になった。


最近自分の周りの世界が不平不満で満ちている。
自分が不幸せを感じるとき、自分がそれを選択しているという。
それに従ってみたら、諦めることが多くなった。
諦めたら、また怒りが始まった。「なにを勝手に諦めているんだ?」
また沈めたら、虚しくなった。ただただ虚しい。

この世界が息苦しくてたまらない。
なぜそんなに皆、怒り狂っているの?不満なの?怒りとストレスを割り切ったほうがいいの?
怒りとストレスは別だとしたら、自分が演じているのか、サイコパスな人格に成り果てたほうが楽なんじゃないか?
自分が世間知らずなだけなのかな。

本当はもっと良い世界だと思っていたんだけどな。
音楽を聴く、風を感じる、晴れ渡る空を見る、それだけで人生は豊かで満ち足りるのに。

酔っ払いと話すと疲れる。
もうやめようかな、こういうこと。
人生は面白いはずなのに、同調圧力や偏見で、俺の人生を踏みにじらないで欲しい。邪魔しないで欲しい。頼むから。

そっと離れることにしよう

2021年6月1日火曜日

メディアミックス、休む快楽

メディアミックスされた表現は現実のすぐそこにあった。
耳と鼻と目、触覚、人力メディアミックスって言ったら変かな。
肉体と肉体以外の環境、ミックスしていく。
表現が生まれる、生まれた、生まれていく。

細かいことも、言葉も気にしない、なぜなら今どうでもいいから。
奇を衒うことも、自分であることも投げ捨てた。あるのは、どすぐらい肉体。
この文章をただ書き連ねた先、積み重ねが軌跡を辿る。
朝の光が虚しい。

昨日は一日休んでた。
何もしなかった、誰とも関わりたくなかった。
足りないのは休養、満ち足りた贅沢な一日だった。じっくりと自分と向き合って、心の声を聞いた。
もう誰にも執着したくないなと思って、いろんな自己啓発動画を見ると、解釈は自分次第ということ。
不平不満を感じる自分がいるなら、自分をなんとかするしかない。
もちろん100%信じているわけではなく、社会に向けて訴えることは大事。
我慢と我儘のバランスは課題。
休んでから、また音楽活動できるのかなとふと頭に過ぎり、もっと休みたいなとも思った。

動くから休む快楽もある、しかし快楽にすべきなのだろうか。



マニキュア   東京、本、日本、国、音楽、運動、性、趣味、居場所