2018年2月14日水曜日

問題とテクノロジー

これはiPhoneでの音声文字起こしテストです

最近思ったり悩んだりしていることがたくさんある。
それは日常のささいなことだったり、生涯をかけて見つける全体的なことだったりする。

その中の1つがライブの感動する要素。
ライブを見るときに視覚的な情報や、その場の空気感だったり、音楽そのものの内容だったり、その日起きてからどういう体験をしたか個人的な内容だったりを想像してしまう。
ライブ見ている人の顔見ると、何が楽しいんだろうと想像してしまう。しかし一方で、感動している人や喋ってる人がいる。
メタ的な視点で見ると、思い思いにその日の体験や他人のことを議論したり、批評している様が目に浮かぶ。それはライブを見ている時やしている時に起こってしまう。ネガティブな面でもポジティブな面でもそうだ。

しかしこれはあくまで自分の問題であって他人には関係ないとも言える。だから自分はいかにストレスをためず、これらの問題を日々整理しつつ他人に説明したり批評するための論理付けが必要だと考える。これらの問題を前提条件であり他人に説明するためには必須であると思う。
何がいいかと言う意味付けを常に行うことが大切だと思う。それは自分にとってもそうだ。
しかし意味や価値は環境や人によって、はぐくまれるものであり、なかなか難しい。
文句や悪口によって終わらせてしまうのはもったいない。わからないで終わってしまうのもそう。なので教育が非常に重要なのではないかと思う。
みんながみんな良いと思えるライブを見に行ける選択肢を持てればいい。嫌なら来なければいい。
また取捨選択するモチベーションや、わからないことを知ろうとするモチベーションは人によっても違うので一概には言えないが、なるべくそういう情報の交通整理を考えるべきだしやっていくべきだと思う。

またジャズが難しいと言われ、敷居が高いと言われることも考えるべき。
よく料理に例えられたり、演奏者の会話と例えられたりする。
それもそうかもしれない、時に即興演奏だったりするものは、いわゆる現実社会の会話と近いものがあり、一方でアンサンブルやバンド形態を意識したときに、また曲のセットリストの構成等は料理に例えられるかもしれない。アドリブの内容もそうかもしれない。
だが音は音であり、演奏者の意識は関係ないのではないかと思ったりする。
音を発言する演奏者ないし楽器から離れた音は受け取り手によって様々な意味を持ち出す。
そういう意味で千差万別のコミュニケーションと言える。
これは演奏技術が自分が成熟してないからこう思うのかもしれない。現実のコミュニケーションは無意識や意識する状態をコントロール可能なので、演奏と現実のコミュニケーション能力の齟齬を起こしてしまうのかもしれない。これはまた考えるべき問題。
自分がジャズが楽しめるようなきっかけはある日、自分が音楽の箱庭的楽しみを見出していたことだ。それは盆栽を愛でるような、細かいところに何かを発見したり快感を得るような感覚だと思う。自分が繊細だとかそういうことではなくて、単にジャズに慣れ親しんだから出来上がった感覚だと思う。自分にとってはジャズはよくわからないが面白かったりかっこよかったりするものだと思う。
これもまた考える。

ここまで口で喋ってきたが、非常に早く文字を打ち込めるのでとても便利だ。時々音声が間違いを起こし変な言葉を入力してしまうことがあるが、母音が一緒だったり同音異名だったりする程度。
Google翻訳も、アプリで試していて優れた精度で翻訳してくれる。明日外国の方と話す機会があるので試してみようと思う。スマホがなかったら何もできない大人になってしまった個人的にスマホがない状況はそんなにないので困る頻度も少ないだろう。
このようにテクノロジーで解決できる問題も出てきたので効率化や最適化を常に行っていきたい。
コミュニケーションや無知においては近いうちに解決できることがたくさんある。やっていきたい。
また人との出会いや物事も効率化や最適化されて選択肢は広がった。これらをもっと活用すべくやっていくべきだ。またそれによって深い意味を見いだせるかまだわからない。
生きてる以上大きな歴史の中の流れにいるので、その中で信じられるものを作って社会に貢献したりしなかったりしたい。
まだこのよくわからない世の中に生きている以上が暇だったりするので自分のやりたいことや他人と何かするために共感したり共有するためにこんなことを書いたりしてるのかもしれない。


とここまで書いてきて1人でしゃべっていると喋りの練習にもなるし、自分と対話し思考が整理されると思う。他人と喋る機会もないので便利だ。以上を持って今日の成果発表を終わります。

0 件のコメント:

コメントを投稿