あのころの14歳の熱量と情熱はどこから来るんだろう。
歳をとるにつれて、周りとの齟齬があるのが分かったり余計なことを考えてドツボにハマったりしていた。
単に現実(結果)が直視できなかったり、その反動で周りの人に迷惑を掛けたりして悪循環を起こしていた。
それが若さなのだろうか、ただ単に馬鹿だったのかもしれない。
いろんなことに気付いてから、少しずつ自分の生きやすい方向に修正してきた。
自分にとって生きやすいことはなんだろうと考えると、
・周りに悪い影響をされない、しない。なるべく怒らない。悪影響を与えたり与えられる場所にはいかない。
・音楽をなるべく楽しむ、気持ちよくやる、快楽にする。
・必要最低限の収入がある。
・睡眠をとる、お風呂に入る、運動する、食事する、ぼーっとする。アニメ観たり読書する。
・相手と会話して伝える(感情を込めたり、共感するのは難しい)↑上記の条件をなるべく満たしていないと余裕がない。
・↑これらのことをするための努力や勉強は怠らない。
生きやすい方向に修正していくと、なんだか点と線が重なって14歳の感覚がまた戻りつつある(気がする)
問題を一つ一つ解決していくことで、絡まった糸が解けていくように自分の夢はこいう姿だったんだと思い出した。
それをどのように実現していくはまだ分からない、取り敢えず自分の音楽を作っていかなきゃどうしようもない。
機材のことや音楽のことを研究したりするのは楽しい、それが価値を生むか分からない、でもどこかで生むはずだと自信もある。根拠のない自信もある。
でもなるべく過程を楽しんで、追求していきたい。もちろん価値も大切だけど。
多分、また混乱するから、頑張れ自分。
努力という言葉は何となく嫌いだけだけど・・・自分がなんとなくできる範囲で一生懸命できたらいい。
死ぬこと以外かすり傷という言葉が嫌いというツイートを見た。俺はどっちでもいい。
頑張れるときにできるだけ頑張る、やっていこう。
14歳まで今に至る24歳まで、甲府で過ごした。もう10年経っている。
この街を歩くたび、いろんなことを思い出す。
友達との帰り道がやけに清々しかったことや、いじめられたことや、女の子と初めてデートした駅や、フラれたファミレスや、自転車でこけた場所や、友達とバンドを始めた場所で匂いを嗅ぐことや、部活で公園を走ったことや、13,4歳で桜座で初めて見た渋さ知らズやウンベルティポやフォノライツまた色んなライブ、初めて行った夏フェスで9mmやbumpを見たこと、煙草を初めて吸ったときのこと、初めて演奏のことで傷ついたり、いらんことで泣いたりしたこと、
感情や言葉が伝わらず他人を怒らせてしまったり、
もうこりごりだ。
ここにいると嫌なことも良いことも、たくさん思い出す。全てを投げ出して消し去りたい。
と思うときもあるけど、なんだか楽しくやってる。誤魔化す術を覚えたからかもしれない。
10年で本当の意味で変われたのか分からない。
本質的には変わってない気がする。
進んでいるかどうか分からないけど、自分に合ったものを見つけ出すのは上手くなった気がする。
また悪いものを回避する術を得た。
そんなこんなでもし10年前の自分に言えることがあったら10年経っても大して変わってないし、もっと早く自分に合った方法を探してほしいということ。
少しは生きやすくなるんじゃないかな。
無自覚、無意識、無責任は危険。それで生きていると破滅していく。
いわゆる”普通”とは違っているかもしれないけど、自分なりに教養や文化を知ってなんとなく共有したりしてる。
まだ難しいことだらけだけど、なんとなくやってる。テレビのニュースとかスポーツとか政治も見たりしてる、偉い。
色んなアートや本も見たり、チェックしてる。それで何になるかというと話のネタにはなる、中身がなくても共有はできるはず。
簡単なのは天気の話。
だから借金してもといいから、そいう投資はして見識を深めてみようと思ったりしている。
まあ分からないことだらけだけど、少し見識を深めることで共通項を見つけると、ほっとしたりする。
そんな日々。
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