2018年2月16日金曜日

14歳とこの街

あのころの14歳の熱量と情熱はどこから来るんだろう。


歳をとるにつれて、周りとの齟齬があるのが分かったり余計なことを考えてドツボにハマったりしていた。
単に現実(結果)が直視できなかったり、その反動で周りの人に迷惑を掛けたりして悪循環を起こしていた。
それが若さなのだろうか、ただ単に馬鹿だったのかもしれない。
いろんなことに気付いてから、少しずつ自分の生きやすい方向に修正してきた。
自分にとって生きやすいことはなんだろうと考えると、


・周りに悪い影響をされない、しない。なるべく怒らない。悪影響を与えたり与えられる場所にはいかない。
・音楽をなるべく楽しむ、気持ちよくやる、快楽にする。
・必要最低限の収入がある。
・睡眠をとる、お風呂に入る、運動する、食事する、ぼーっとする。アニメ観たり読書する。
・相手と会話して伝える(感情を込めたり、共感するのは難しい)↑上記の条件をなるべく満たしていないと余裕がない。


・↑これらのことをするための努力や勉強は怠らない。


生きやすい方向に修正していくと、なんだか点と線が重なって14歳の感覚がまた戻りつつある(気がする)
問題を一つ一つ解決していくことで、絡まった糸が解けていくように自分の夢はこいう姿だったんだと思い出した。
それをどのように実現していくはまだ分からない、取り敢えず自分の音楽を作っていかなきゃどうしようもない。
機材のことや音楽のことを研究したりするのは楽しい、それが価値を生むか分からない、でもどこかで生むはずだと自信もある。根拠のない自信もある。
でもなるべく過程を楽しんで、追求していきたい。もちろん価値も大切だけど。
多分、また混乱するから、頑張れ自分。
努力という言葉は何となく嫌いだけだけど・・・自分がなんとなくできる範囲で一生懸命できたらいい。
死ぬこと以外かすり傷という言葉が嫌いというツイートを見た。俺はどっちでもいい。
頑張れるときにできるだけ頑張る、やっていこう。


14歳まで今に至る24歳まで、甲府で過ごした。もう10年経っている。
この街を歩くたび、いろんなことを思い出す。
友達との帰り道がやけに清々しかったことや、いじめられたことや、女の子と初めてデートした駅や、フラれたファミレスや、自転車でこけた場所や、友達とバンドを始めた場所で匂いを嗅ぐことや、部活で公園を走ったことや、13,4歳で桜座で初めて見た渋さ知らズやウンベルティポやフォノライツまた色んなライブ、初めて行った夏フェスで9mmやbumpを見たこと、煙草を初めて吸ったときのこと、初めて演奏のことで傷ついたり、いらんことで泣いたりしたこと、
感情や言葉が伝わらず他人を怒らせてしまったり、


もうこりごりだ。
ここにいると嫌なことも良いことも、たくさん思い出す。全てを投げ出して消し去りたい。


と思うときもあるけど、なんだか楽しくやってる。誤魔化す術を覚えたからかもしれない。
10年で本当の意味で変われたのか分からない。
本質的には変わってない気がする。
進んでいるかどうか分からないけど、自分に合ったものを見つけ出すのは上手くなった気がする。
また悪いものを回避する術を得た。


そんなこんなでもし10年前の自分に言えることがあったら10年経っても大して変わってないし、もっと早く自分に合った方法を探してほしいということ。
少しは生きやすくなるんじゃないかな。
無自覚、無意識、無責任は危険。それで生きていると破滅していく。


いわゆる”普通”とは違っているかもしれないけど、自分なりに教養や文化を知ってなんとなく共有したりしてる。
まだ難しいことだらけだけど、なんとなくやってる。テレビのニュースとかスポーツとか政治も見たりしてる、偉い。
色んなアートや本も見たり、チェックしてる。それで何になるかというと話のネタにはなる、中身がなくても共有はできるはず。
簡単なのは天気の話。
だから借金してもといいから、そいう投資はして見識を深めてみようと思ったりしている。


まあ分からないことだらけだけど、少し見識を深めることで共通項を見つけると、ほっとしたりする。
そんな日々。







2018年2月14日水曜日

問題とテクノロジー

これはiPhoneでの音声文字起こしテストです

最近思ったり悩んだりしていることがたくさんある。
それは日常のささいなことだったり、生涯をかけて見つける全体的なことだったりする。

その中の1つがライブの感動する要素。
ライブを見るときに視覚的な情報や、その場の空気感だったり、音楽そのものの内容だったり、その日起きてからどういう体験をしたか個人的な内容だったりを想像してしまう。
ライブ見ている人の顔見ると、何が楽しいんだろうと想像してしまう。しかし一方で、感動している人や喋ってる人がいる。
メタ的な視点で見ると、思い思いにその日の体験や他人のことを議論したり、批評している様が目に浮かぶ。それはライブを見ている時やしている時に起こってしまう。ネガティブな面でもポジティブな面でもそうだ。

しかしこれはあくまで自分の問題であって他人には関係ないとも言える。だから自分はいかにストレスをためず、これらの問題を日々整理しつつ他人に説明したり批評するための論理付けが必要だと考える。これらの問題を前提条件であり他人に説明するためには必須であると思う。
何がいいかと言う意味付けを常に行うことが大切だと思う。それは自分にとってもそうだ。
しかし意味や価値は環境や人によって、はぐくまれるものであり、なかなか難しい。
文句や悪口によって終わらせてしまうのはもったいない。わからないで終わってしまうのもそう。なので教育が非常に重要なのではないかと思う。
みんながみんな良いと思えるライブを見に行ける選択肢を持てればいい。嫌なら来なければいい。
また取捨選択するモチベーションや、わからないことを知ろうとするモチベーションは人によっても違うので一概には言えないが、なるべくそういう情報の交通整理を考えるべきだしやっていくべきだと思う。

またジャズが難しいと言われ、敷居が高いと言われることも考えるべき。
よく料理に例えられたり、演奏者の会話と例えられたりする。
それもそうかもしれない、時に即興演奏だったりするものは、いわゆる現実社会の会話と近いものがあり、一方でアンサンブルやバンド形態を意識したときに、また曲のセットリストの構成等は料理に例えられるかもしれない。アドリブの内容もそうかもしれない。
だが音は音であり、演奏者の意識は関係ないのではないかと思ったりする。
音を発言する演奏者ないし楽器から離れた音は受け取り手によって様々な意味を持ち出す。
そういう意味で千差万別のコミュニケーションと言える。
これは演奏技術が自分が成熟してないからこう思うのかもしれない。現実のコミュニケーションは無意識や意識する状態をコントロール可能なので、演奏と現実のコミュニケーション能力の齟齬を起こしてしまうのかもしれない。これはまた考えるべき問題。
自分がジャズが楽しめるようなきっかけはある日、自分が音楽の箱庭的楽しみを見出していたことだ。それは盆栽を愛でるような、細かいところに何かを発見したり快感を得るような感覚だと思う。自分が繊細だとかそういうことではなくて、単にジャズに慣れ親しんだから出来上がった感覚だと思う。自分にとってはジャズはよくわからないが面白かったりかっこよかったりするものだと思う。
これもまた考える。

ここまで口で喋ってきたが、非常に早く文字を打ち込めるのでとても便利だ。時々音声が間違いを起こし変な言葉を入力してしまうことがあるが、母音が一緒だったり同音異名だったりする程度。
Google翻訳も、アプリで試していて優れた精度で翻訳してくれる。明日外国の方と話す機会があるので試してみようと思う。スマホがなかったら何もできない大人になってしまった個人的にスマホがない状況はそんなにないので困る頻度も少ないだろう。
このようにテクノロジーで解決できる問題も出てきたので効率化や最適化を常に行っていきたい。
コミュニケーションや無知においては近いうちに解決できることがたくさんある。やっていきたい。
また人との出会いや物事も効率化や最適化されて選択肢は広がった。これらをもっと活用すべくやっていくべきだ。またそれによって深い意味を見いだせるかまだわからない。
生きてる以上大きな歴史の中の流れにいるので、その中で信じられるものを作って社会に貢献したりしなかったりしたい。
まだこのよくわからない世の中に生きている以上が暇だったりするので自分のやりたいことや他人と何かするために共感したり共有するためにこんなことを書いたりしてるのかもしれない。


とここまで書いてきて1人でしゃべっていると喋りの練習にもなるし、自分と対話し思考が整理されると思う。他人と喋る機会もないので便利だ。以上を持って今日の成果発表を終わります。

2018年2月6日火曜日

削除2 現実と自由

万人に理解されなくて寂しいかと、言われるとそんなこともない。基本理解できない前提でいいと思う。
しょうがない
それを利益にするなら身を粉にするけどバランス
現実やFacebook見てるとスゲェ…ってなる。死だ…
ツイートは人格に影響するというツイートを見たので、これから慎重に。
また最近、厳しさと甘さ、両方の側面がないとやって行けそうにないと
分かったのでごちゃ混ぜにやって行きます。
二律背反 パラドックス

自由という幻想に憧れ続けると、つらみが出ます。
暗黙のルールがいくつかある、
良い本読んでも説明できないこと多い、
抽象的なことを定義付けても結局フワッとしてる。
混沌としてる
向き不向きもある
良いと思ったら悪いと思ったら良い、そんなことがありすぎるので、
無意識と意識で限定して生きています。

2018年2月2日金曜日

削除

パスワードを忘れないためにメモしたり、インスタ意識で対象を見直したり、
形あるものとないものの価値観の差を埋めるために、物質に置き換えたり、
抽象化するために形ないものにしたりして大変だな。永遠に続くかもしれないけど、またずっと議論されてきただろう
問題


自分にとって価値を定義するのが必要。徹底的に
課題に対してそれだけを解決する方向や思考を共有するのを一番の目的にして、
それ以外のことは一切介入させないことがいいのかもしれないけど、人間性や道徳とか失われそう。
それもバランスなんだろうけど。とにかく一直線に問題解決に進む向上性を持つ。人格とか道徳とか共有できない。
そんなことできる自信ないし、
できる人は無意識に演じているかオールマイティだし。
人を采配するの上手いし、凄いなと思う。
そんなことできる実直さがない。
しかしもっと環境カオスだろうけど、意味わかんないこと多すぎる。
必要ないことを考えるのが多すぎる。
そして自分を閉じる


自分にとって必要なこと情報や知識を上手くザッピングして、上手く整理できるのが理想だけど、どうやるんだ。そのため学問とか、
常識教養とかもっと早く気づいて、効率とか実行できる体制になってみたかったのかもしれない。
焦燥感だけが身の回りにある。また実行したとして適してないのでボロがでる
自分で追い込むか、無理してひとつひとつの承認を得るか、
分からないけどそいうものを目指すのもいいのかもしれないけど、
怖さしか感じない。
自制できる自信がない、我慢できない。
その分ツイッターやブログは便利で、勝手に完結してくれればいいし、
自分も整理や何か得られるものがある気がする
勝手にしてくれ


適正とか遺伝とか環境もあるけど、積極的に何かを求めることでしか可能な限り変えられない。ギャンブルだけど、、、。
命をかける、とかリスクをとるとか、できるわけないじゃんと思うこともあるけど、
成功にひたすら向かって勘違いでもいいから失敗もすることも重要(生かせる)、
そいう命掛けみたいなリスクを背負わなくても、多少意識的にリスクを背負うことが大事。
何かをなすのは大事で、生きやすく生きたいと思ったら、何か形にしなくちゃいけなかったり、
証明しないといけない。分かりやすく伝えないとダメだ・・・。というのは社会に積極的に参加する場合。
物事を選べる状況が可能限りあればいいけど、そうじゃない場合受け入れるか、
それをどうポジティブに変換できるかが日々の些末なことに対するストレスを解決する鍵。


自分の場合はこれは根拠のない自信だと思う。
ただそれだけではやっていけないので、
日々根拠のない自信を成立させるために余計な余計なことだけ考えてしまうのがダメ。
我慢は解放観を得るものだし、適正は運だし、能力も限界あるし、
自分のことは段々分かってきたけど。もっと分かっていけたらと思う。
我慢できないことたくさんあるけど
、一人になるくらい全然余裕。多分、一人で何かやるのは向いてる。効率の鬼や競争のなかでは焦燥を煽られるけど。


まぁいいか、多少スッキリしたし。
それでもやらない自分は屑だ。
解決する集中力があれば尚良い、持続するポジティブさがあればもっといい。
サイボーグおばあちゃん
テクノロジー来い
まあとにかく今できることと目標とか、目的と集中力が渾然一体になれば、いいし、
見つからなければ積み上げるか、何もしない。


みんな、どうやって恋愛してるんですか?経済面も含め思想含め