2017年8月30日水曜日

東京 不甲斐ない

今日は東京に出掛けた。


電車に乗り慣れてないので連結部分で居座って行こうと思ったが、
日頃の倦怠感からくるものと、適度な揺れのおかげで少し酔った。

ここ最近気持ち悪くなる、少し乗り物恐怖症かもしれない。

そのあとは八王子で降りた人の椅子をゲット。安堵する。

ボーっとして風景を眺めていたら、少し寂しくなった。
この漠然とした不安のような気持ちはなんだろうと思いながら新宿に到着。


東口はどこだ、a9はどこにある、真っ直ぐ行って右に向かったけどないぞ、
俺にとって右は?真っ直ぐは左なのか?

結局二時間掛けてディスクユニオンに辿りつく。方向音痴。自らの空間認識能力はポンコツだと落ち込む。係員さん、ありがとうございます。
なんかこいう部分がダメなんだよな〜と思う。他人といたら迷惑を掛けてしまう。
ちゃんと人の話を聞くという前提がダメなのかもしれない。携帯も通信制限で動かず。
まぁ計画はしてないし、次はちゃんと準備する。
しかしもし他人といたら叱責される絵が浮かぶ。ごめん。

ネットで探した方が安いし、効率がいいと思うんだけど色々細かく調べて買うのがめんど臭い。
今回はランダム性をもたせつつ、コンテンポラリーやワールドミュージックの主軸となっている音源を手にいれるのが目標。コンテンポラリーを重視。今まで自分が見た情報が鍵となる。

ディスクユニオンに辿りついたことでもう達成感を得て満足してしまった、実際購買意欲が不思議なくらいない。自分の目的はディスクユニオンに行くにすり替わってしまった。
本当はそれくらいしか考えてなかった。

しかし色んなコーナーを見ると、地元にはないあれや、これ。
当たり前だけど、やっぱり地元には普通ないものがある。感動する。
需要と供給が揃ってる街。

今度は段々と音楽に酔ってきた、段々と物欲も減ってくる。
買おうと思っていたものがあったはずなのに、なんでここにいるんだろうという気分になる。
買い物は打ち止め、ブックユニオンに行く。
ここも音楽関係なんでもある気がしてくる。

ディスクユニオンには各店舗あるらしくジャズ館に向かった。
新譜の宝庫だった。もう物欲は無くなっていたので何も買わなかった。

しかし今ではcdを買いに来たのか不思議なくらい『なんで買ったんだろ・・・』と思った。

それは口実で、生活リズムも直したいから運動がてら来たというのもある。
日の目を見ない生活、さよならだ。しかし暑かった〜。

段々何も考えられなくなって、帰ることにした。

もっとライブハウスとか行けばよかったな、なんか美味しいものも食べて見たいし。
次はもっと計画立てて行こう。遊び方っていうのがイマイチよく分からないな。

あとやっぱり人多い。なんか凄い虚しくなった。
もっと知れたら楽しいんだろうな〜。





2017年8月27日日曜日

憧れ 都合よく生きる


憧れはなんでも突き破る屈強な男と、包容力のある女性。

弱っているときに聴く音楽はどうしてあんなに効力があるんだろう、
淡々とした静謐な音楽、厳かな。
素晴らしい。
ラベル、ドビュッシーの曲たち。

無垢な歌声、恐れがない歌声どれも素晴らしい。
表現は地平線まで広がっている、或いは地下や海や、宇宙か。
無限、偶然、必然の中から選び取り、限定的に作り上げたのだ。

俺も選ぶ、もしくは選ばれる。

その人の努力がわかる、屈折、真っ直ぐ、それぞれに変容した思想がわかる、気がしてる。

業界、社会の常識、概念から解き放つ、自分だけの生活を表現したい。

社会と一体化することは無理だ、それはわかる。

繰り替えし、自分が騙してる。何度も同じ過ちを繰り替えしてしまう。
幸せを感じるか?感じるなら進む。

たまにふっと来る安堵に騙されるな、問題は他愛のないことだ、ほんの小さなことだ。

幸せは寝ること、アイスを食べること、街を歩くこと。
嫌なことは、圧力、ネガティブなこと。

気分が良くなかったので歩いた、良い気分だ。気分が良くない時はぜひ無理矢理にでも自分のペースで歩いてほしい。
そして人に会ってほしい、自分の居場所を見つけてほしい。
そして自分のペースで別れたり、繰り返してほしい。その循環が心地いい。

ここにいて良いんだという自信が必要。

2017年8月26日土曜日

生き方


もっと色んな人の生き方を知りたい。
その中から自分に合った生き方を見つけたい。

たまに自分にどうしても合わない局面がある、それは自分で無くなる時だ。
様々な場面での苦難をなるべく避けたい。

それが具体的に分かるまで時間が掛かりそうだけど。
本当はもう分かっているかもしれない
向き不向きがどうしようもなく存在する。
それはしょうがないことだ。

嫌ならやめろ、とか、好きじゃないことはやめろとかはまぁ当たっている時もある。
耐えて耐えて何かを為す、自分が本当の目的になっているかが問題だ。

上昇志向や、他人の言うことに呑み込まれないことが大切だ。

あと自分は飲み会など多数と話すのが苦手なのかもしれない。
うまく説明できないが、
試されているような感じがある、
うまく説明できないがそんな感じだ。自分が勝手に思ってるだけ。
寄り添えるぐらいの距離がちょうど良い。

影や裏や闇を見過ぎないことが大切だ。

そこら中に広がっている、そして自分がそう感じたならその場から離れるよう。
陽の当たる方へ行く。そしてまだ底なしの闇でなく、必ず明ける闇に身を預けよう。

2017年8月25日金曜日

難しい

この夏、曲を書いて少し周りの音に意識が向いた。
今までは口頭やらで周りの音を聴けと言われたりしたけど、実際に他の楽器を体験した方が分かりやすい。

想像が広がる。

アイデアを全て曲にできるのか、どうか。即興的に演奏できるか。
まだまだ音楽を理論的に知っているわけではないし、既にある知識を体現できるわけでもない。

長い道のりだと思う。
色んなことがあって音楽が嫌になることも多いけど、多分これからもある。
音には何もない、罪もない。全て感じ方に決まる。
人間的関係はテーマである、難しい。また相互作用をもたらす、それが音に出る。
難しい。ただ自分が思うように表現できれば大体は解決するのではないか?自分の問題は。しかし他人と何かをやるのはなんにせよ難しい。
難しい。

いつになれば思うようにできるのだろう。
現実は難しい、思うようにはならない。

自分には圧倒的な他人と分かち合う共用できるものが少ない。
だからこそ日々めげずに一つずつ、他人から見れば遅くともこなすしかない。
あまりにできなさすぎて、辛い時もあるけどしょうがない。
やってこなかった罰だ。

大丈夫、できる。できる。
音楽に祈る。

曲を作る際に歌を入れて見た。ミックスとかのバランスはまだわからない。
ずっと歌いたかった。だけど自信が無いので全然ダメだった。
気軽に喋ることができない。もう煙草と運動不足で肺が苦しい。
なんで歌に対して、喋ることに対して、自信がなくなってしまったのだろうか。

録音して見て笑った、自分の声に。
しかしこれをもしやってくれる人がいたら嬉しい。バンドでやりたい。
いつかもっと歌も人に伝えられるようになれば、誰とでもできるんじゃないかと期待してる。

リズム感も、グルーヴももっと分かるようになれば人に伝えられるのに。いつの日か目標だ。

自信がなければ毎日少しずつ、音楽が自分に向いてないなら尚更少しずつでも進む。

自分に合ったこと、それが見つかってたら音楽はやめるのかな、多分はそれはないと思う。





少し身だしなみを整えた。顔の毛を剃った。

他人に不快感を与えてしまうのは申し訳ない、これはもう学生の時からそうなのでしょうがない。
半分諦めているが、今からでも少し前向きになろう。

どうしていつからか無愛想とか感情が無いと言われるようになってしまったんだろう。
どうせならもう感情を爆発させていこう。
抑えこまれた気になってしまう社会か、自分に対して。

フラッシュバックに耐えられるようになったら本当の成長だ。

克服したい。切実に。過去から逃れたい。だったら行動する。


2017年8月24日木曜日

前向き 幸せ

簡単なことなのに、どうしていつもできないんだろう。


分かっていたのに、体の不調を直すのは朝早く起きて運動して欲求を満たすことなのに。
体が動くまで気が持ち直すまでとてつもなく苦痛だ、また作業の途中で気が激減するのが怖くて、それがまた萎える。


ここまでは動けないときの心境、今は大丈夫。
なぜ嫌なのか、苦痛なのか


例えば楽器の練習は先が道のりが遠すぎて苦痛だ、批判を受ける場を想像する。
しかし厄介なのは楽しいときもある、体の調子が良いのかもしれないがとてつもなく平穏な気持ちで練習できる。
しかも楽しい。


これから考察するのは他人の目を気にしているということ、本当に好きなのかどうか。
いつも本当に好きなのか?自分にそれが向いているのか?具体的に説明できるのか、自分に、相手に。
最近、この「本当」というのがテーマである。この夏、自分の曲を作ってからなんとなく本当が見えそうな気がする。
しかし人の気持ちというのは移ろうもので、あっちこっち、隣の芝生が青いのだ。


幸せは相対的か、絶対的なのかというのもテーマだ。
またツイッターで見かけた
john cage botさんの
「音楽」という言葉を守りたいならそうしなさい。そして耳を通過するすべてのもののために、別の言葉を見つけてほしい。ノイズという意味のいくつかの言葉に煩わされるのは時間の無駄だ。実のところそれは演劇なのであって、我々はその中にいて、それをつくろうとしている。」


様々な混沌から他人に、自分に左右され、脳内に言葉が満ちているとき、それは多分疲れている。一刻も早く休んだほうがいい。
無意識のうちに、他人と比べてしまう、これははたして幸せなのか?
絶対的に幸せなのは天然、持って生まれた才能というイメージだ。しかし最近はどうだろう、おそらく目的が、何が自分にとって幸せなのか、明確でないから彷徨ってしまうのではないか。これは音楽もそうだと思う。
これから探さなければない。ふいに道端に落ちているかもしれないし、何十年先に見つかるのかもしれない、あるいは見つける。意味を自分で付ける。


天然的な人、僕にとって幸せに見える人は、自分のなかで意味を持たせるのが上手いとなぁと思う。
ポジティブ思考、これは是非とも真似すべきだ。今日はあれもできない、これもできなかったではなくて、
今日はあれもできなかったけどボーッとする時間ができてよかったというふうに変換したほうがお得だ。
この夏はこのポジティブに助られた。寝てアイスしか食ってないなぁという日でも肯定できるのは何より成長だと思う。
もしかたら自分にとっての幸せは一日寝てアイスを食べることかもしれない。
またハンドスピナーを手に入れた、ハンドスピナーは楽しい、何故か見ているだけで癒され不思議な気持ちになるし、
ボタンを押せばカラフルな光に包まれ、なかなか良い。飽きたけど。


あれもないこれもないではなくて、ないの反対はある だから。
一事が万事、一長一短あり。


最近はレゲエ,tricotにハマっている。いつの日かカバーしてバンドでやりたい、オリジナルも。