2016年6月29日水曜日





今まで影響を受けたものを整理する。


この何年間、表現以外のことはあまり考えなかった。
それもそろそろ限界らしい、と自分で決めた、少し休む。前に進むために。
何度、何十回と反省したことなので間違いない。先輩方から言わすともっとやれと怒られるかもしれない。


芸の道は厳しい、それが自分の生き方がどうかが問題だ。自分に問い直す、どうなのか。
やらざるを得ない人達がいる。


物理的に修練を積んだからといって、できるわけではない。
頭のなかにイメージがあるか、無意識のなかに入り込んでるか。それを人に説明できるか。


よくそんなことも知らないのかとも言われるが、知らないものは知らないのだ。




ふとしたときにもう、こだわらなくていいかな、もう疲れたなと思うのは自分が好きではないからかもしれない。




といってまた始める、というよりギターに固執する必要性をあまり感じない。自分の楽器として。
聴いてる

23

無事,23歳になりました。


芸をするということ、それは様々な解釈が存在する。
とりあえず考えても仕方がないので身を任せる。


真似事をしたい、真似事ではダメだ。と自分が勝手に決める。でもどうせならオリジナルがいい。
芸の形式が身についているか、形式のうえでのみ成り立つものをこなさなければいけない。
そのうえではみ出したい、人と同じは嫌だ、似ているのもしょうがない。
しかし本当に形式だけか?別に形式なども、方便も、嘘もどうでもいい、ただひたすら消えたいときがある。


見方の問題だ、これをどう捉えるかだけ、数学的に、感覚的に、スポーツ、会話に例えたりするか。


別にどうでもいい、自分が楽しければそれでいい。他人は関係ない。仲良しごっこではない。
頭のなかにイメージはあるか、それを表現できる技術があるか、そこを練習するのみ。

スポーツは勝ち負けが存在する、たしかな勝ち負けは存在する。芸はどうだろうか、

この三日間ぐらい楽器の練習を疎かにしている。
手に付けようと思っても途中で終わってしまう、計画が崩れている証拠だ。計画から立て直すことも大事だが、
目の前にこと集中することしかできない、先のことを見る余裕が到底ない。しかし自制心が大切だ。
ただぼーっとしてしまう。

2016年6月28日火曜日

無事,23歳になりました。


芸をするということ、それは様々な解釈が存在する。
とりあえず考えても仕方がないので身を任せる。


真似事をしたい、真似事ではダメだ。と自分が勝手に決める。でもどうせならオリジナルがいい。
芸の形式が身についているか、形式のうえでのみ成り立つものをこなさなければいけない。
そのうえではみ出したい、人と同じは嫌だ、似ているのもしょうがない。
しかし本当に形式だけか?別に形式なども、方便も、嘘もどうでもいい、ただひたすら消えたいときがある。


見方の問題だ、これをどう捉えるかだけ、数学的に、感覚的に、スポーツ、会話に例えたりするか。


別にどうでもいい、自分が楽しければそれでいい。他人は関係ない。仲良しごっこではない。
頭のなかにイメージはあるか、それを表現できる技術があるか、そこを練習するのみ。


スポーツは勝ち負けが存在する、芸はどうだろうか、たしかな勝ち負けは存在する。

2016年4月21日木曜日

お久しぶり

久し振りに手紙を認めよう。


というのも混乱していて整理がつかなくなったから。
自分のやりたい音楽というものをもう一度、再確認したい。そして自分の立ち位置。
常に足元を見ている必要があったのに、それを怠っていた。思えば学生のときから自分はそうだった。
そのツケが回ってきた、当然のことだ。
それでも音楽をやりたいという想いは変わっていない、あの熱量に溢れた、ときに静かに、計算しているような見せ掛けの、意味はあるようでない、ないようである混沌とした音楽に触れてから、少し戸惑ってはいる。


この音楽を理解するために、コミュニケーションが必要だ。自分はもともとコミュニケーションが好きではない。
というのも自分が介在することで、おそらく他人が不快になることが多かった。自分の経験からくることは間違いない。
そのうえでジャズ、あらゆる音楽にコミットしていくのはどうしたらいいのか、ここで迫られるのが
「我慢して、または演ずるコミュニーケションをする」、「音楽をやめる」、


演ずることもコミュニーケションの一部であるから、言葉を変えるならば嘘をついて関係していくこと。それもときには必要。
やはり自分の好きなように、我儘に人の関係を広げていくしかなかろうか、と思う。そいう生き方が本当に好きか、問いかける。今まで、生き方というより生理的に我儘に一人になってしまうことが多かった。性格でもある。
音楽でコミュニケーションするためには、ときにそれ以外の場でより話すことが重要な場合もある、実力主義とは言えど。


いややっぱり、自分が欲する関係性を音楽に求めるのが間違ってる、それは別で補おう。終わり。