久し振りに手紙を認めよう。
というのも混乱していて整理がつかなくなったから。
自分のやりたい音楽というものをもう一度、再確認したい。そして自分の立ち位置。
常に足元を見ている必要があったのに、それを怠っていた。思えば学生のときから自分はそうだった。
そのツケが回ってきた、当然のことだ。
それでも音楽をやりたいという想いは変わっていない、あの熱量に溢れた、ときに静かに、計算しているような見せ掛けの、意味はあるようでない、ないようである混沌とした音楽に触れてから、少し戸惑ってはいる。
この音楽を理解するために、コミュニケーションが必要だ。自分はもともとコミュニケーションが好きではない。
というのも自分が介在することで、おそらく他人が不快になることが多かった。自分の経験からくることは間違いない。
そのうえでジャズ、あらゆる音楽にコミットしていくのはどうしたらいいのか、ここで迫られるのが
「我慢して、または演ずるコミュニーケションをする」、「音楽をやめる」、
演ずることもコミュニーケションの一部であるから、言葉を変えるならば嘘をついて関係していくこと。それもときには必要。
やはり自分の好きなように、我儘に人の関係を広げていくしかなかろうか、と思う。そいう生き方が本当に好きか、問いかける。今まで、生き方というより生理的に我儘に一人になってしまうことが多かった。性格でもある。
音楽でコミュニケーションするためには、ときにそれ以外の場でより話すことが重要な場合もある、実力主義とは言えど。
いややっぱり、自分が欲する関係性を音楽に求めるのが間違ってる、それは別で補おう。終わり。
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