そうはいっても、といった部分がある。それは建前、表面上の言葉だ。綺麗事には裏の背景がある。
未来はどうなる。
障害のある人達。
今日は街を歩いていた、普通の人生はもっと誰かと喋ったり、歩いたりするのかな?
おままごとでもいいから、誰かといたい願い。
本当に都合のいい。都合のよさだけが頭を支配している。
今日は駅前の新しくできたヨドバシ電気に行って店員さんと話した。その丁寧な対応に少し救われた。牽制し合い、攻撃し合うコミュニケーションではないから。
久しぶりに味わった感覚だった。自分が緊張した日々にいることを実感した。
ちなみにお目当ての商品はオキュラスクエスト2。
検討していつか、なるべく早めに仮想現実に行きたい。
帰りに山本太郎さんが演説していた。
白状すると、山本太郎さんが何をしたのか分かってない。観衆とのやり取りを見つつ、ライブ感を味わっていた。あれが最近意識している「文化」なのか、音楽の共通点はメッセージ性、マイクロフォンで拡張された音をスピーカーで感じるということ。
文化といった曖昧な言葉に騙されない、文化は人それぞれの中に存在する。
演説を見ながら「これはライブだなぁ」と感じてしまった自分の文化感がある。
雨が止み、日差しが差込む中、会社帰りの社会人、学校終わりの生徒、学生たちがひしめき合っているのを見て、久しぶりに人を感じた。
雨の匂いを感じながら歩く身体は随分鈍っている、外の匂いや人の匂いを忘れるほどに。
本当は歩いたり、なにかを眺める時間があったんだ。
そいう隙間時間がないほど、自分の意識は拙いのか。
本当はどこまでだって行けるのに、自分で自分を壊しているんじゃないか。
・やること
毎日なるべく歩く
嫌なことしない、なるべく新しい人話す
積極的に出掛ける
休む
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