自分は表現活動をしているが、本当はそんなことどうでもよく、毎日生きることこそ尊い行為だと思ってしまう。
表現をすることが人生の優先順位の高い位置にある、そんなに表現をして何がしたいんだろう?
・なにかを伝えるため、それで誰かに認められたいから
・もてたいから
・お金を得たいから
これらはよく揶揄されるが、大体がそう。
しかし「表現」「音楽」でこれらを実現しようとするのは、自分にとって間違いなのかもしれない。
確かなことはなにもないけど、執着を手放さなかった者、執着が別の意味になっている者が為していくのだろう。
悟りの境地で、欲を手放した表現はどういうものだろう。たまにそいう人がいる。
そいう風に見えるだけかもしれないけど。
考えないこと、考えることをうまく切り離せばいいんだろうな。いま自分にとって必要ないものは?
・プライド、見栄
・焦り
ただ「表現」「音楽」をするのに、割り切ったり、努力できるひとは凄い。
嫉妬する。
最近はいつも何かに追われている気がする。
余裕を持った人になりたい、怒りに支配され、人に八つ当たり最低な行為をしてしまった。
精神的に休む暇もなかった、そいうの無くそう。
怒りのひとつの要因として、
自分は異性としての価値がないんだと受け入れることが大事だった。
情けない話だけど、恋愛には縁がない。知らずしらずのうちに、人が幸せそうな姿を見ると怒りを覚えていた。
言葉にすると、自分が滑稽だ。
そんなどうしようもなさを、休むことで受け入れるしかない。
散々泣いたり、人に八つ当たりして、訪れた感情は平穏だった。
いかに自分が自制できないか知る。
社会はありとあらゆる手段で、感情を揺さぶってくる。
だから楽しいこともあるのだけれど。
揺れはもういらないから、あったとしても楽しいことに集中したい。
それはある部分を見ないってことだよな。
それこそ割り切って。
嫉妬も、喜びも、悲しみもビジネス。
マズローの承認欲求は本当か