2018年9月9日日曜日

青春のありか

もう一度、ゼロから物事を始めたい。

もう25歳、この時を逃したらもうない。いわゆる現代の若さのタイムリミットがきてる。
もちろん何事も始めるには遅くはない。ただ自分が何かを学んだり、経験するのは今でも悪くはない。
「今が一番若いときなのだから それは誰しも平等だから」
このような言葉をシタール奏者のK,Iさんから教わった。

一般的な大人との在り方と自分は違うかもしれない、分かっていたつもりだった。
でも年齢を重ねるにつれ、理想と現実のギャップができてきた。
恋人もいない(恋人ができれば何かが変わると思っていた)、年収も少ない(人として男としての価値がない)、音楽も仕事も人間関係もろくにできない(悲観的すぎるのかもしれない)感情や体調の管理ができない(模索中)
今になればどれもどうでもいい問題だとも思う、大事なのはどう生きたいか、何をやりたいのか、そのための行動をしたか。
しかし、これらが毎日頭の中を掠めるのは非常に問題だと思った。
何より煩悩や邪念によってパフォーマンスが落ち、目的が見えなくなる。
今がそのときなのだから。

とりあえず問題は書き出し、何度も検証し実行に移せば解決する。
これでできなかったら反省。基本的にメタ認知。
今は自分のソーシャルグラフを書くことにも興味がある。
人間、仕事、やりたいことを含めた人生の設計図みたいなものは必要かもしれない。
自分が把握できるのは身の回りの150人くらいだという、そこからソーシャルグラフを書くことは何か繋がるかもしれない。

希望を見出しても、何度も緩やかで些細な絶望や、モラトリアムががやってくる。
自分には具体的でも整理された計画を黙々とこなす必要があると感じた。
それを実行しても大体が上手くいかない。
自分には腹痛や体調や感情を理性でこなす努力や勇気がなかった。
惰性で日々をこなすことに慣れてしまっていた。
それでも日記を書くことで砂金のような希望を見出すこともできた。
何かをした、問題をこなす努力をし、多少は解消することもできた。
自分にはできないこともあるし、やりたくても向いてない社会があることが分かった。
それは協調すること(模索中、騙すこともできてきた)、体育会系や強要してくる社会。
自分に適した生き方を他人や時代と照らし合わせて生きていく。
協調と自立、人間関係は非常に危ういバランスでできている。

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