2018年9月24日月曜日

どんなことも飽きてしまう

どんなに好きなものもいつか必ずと言っていいほど飽きてしまう。

それを解決するのは熱中して忘却し、飽きたら思い出し相対化を図ることだ。
自分の場合はありとあらゆるもの全てが飽きてしまい無気力になってしまう。
それを忘れていた。

何か全く新しいことを始めてみたり、工夫して見方を変えることで新鮮さを手にいれる。
疑問を思考し始めたら問題解決に向かっている兆候だ。
常日頃から疑問を持つことで新鮮さに向かう。
以前にもこうなったケースがあった気がする。

・phaさんの著作「しないことリスト」にもあったように人生は写真のようなリズムで、できていると思う。











物事に飽きるころには夢中になったときの快楽に慣れてしまって、不感症になってしまう。
違うご褒美や楽しさを見つけてあげないといけない。
メンタリストのdaigoさんが「自分の中の目標のハードルを設定してあげて、本を読む有り難みを知る」と言っていて、我慢と制約の中で達成感を得る仕組みを作り、相対化を図ることで読書の有り難みを知り楽しさを見出している。

モノが溢れかえった現代社会の誘惑や、飽きのスピードに付いていけなくなる時もあるけど、「やらなければならないこと」と「好きなこと、楽しいこと」が混ざったものを職業にしている自分にとって、意識して取り組んでいきたい問題だ。

・daigoさんの飽き性の話
https://www.youtube.com/watch?v=Vwq67J4NamY



また嫉妬や妬みはやめて、自分のことだけ見て行きたい。
ただ世界や他人は多面的で複雑なので、なるべく自分の機嫌は自分で取って、
混沌に振り回されず生きていきたい。
まぁいいかで済ます寛容さも必要。そして些細なことから自己肯定感を持つことでそれらは頭の隅に行く。

明日から走ってみようかな。

2018年9月19日水曜日

どんなに絶望したって

絶望しても少しの余裕を持てば人生捨てたものじゃない。

このようなことを数日前亡くなった樹木希林さんが言っていた。
公演で一度お見かけしたことがある。

匂いを嗅いだり、美味しいものを食べたり、寝たり、運動したり、風呂に入ったり、書き出したり、
そんなことでふっと気持ちが離れていい感じになる。

ある小屋暮らしyoutuberが「良い思い出があれば生きていける」と言っていた。
辛くて悪いものはすぐ思い浮かぶけど、思い出せる範囲で砂金のような、心安らぐ思い出を胸に持っていれば生きていける。
自分にとってそれは家族だったり、掛け替えのない友達がいた頃や、笑いあった日々だ。
今では笑い合うこともなくなった人もいるけれど。
そんな日々があった、今でもある。
色んな歌で「思い出して」という言葉を思い出す。
思い出すことの必要性がやっと分かってきたのかもしれない。
思い出せば会いに行けるから。

自分の中で極力前向きに思い出を美化していく、ただやはり今と前とでは状況が違う。
積み重なったものが自分達を前に進めたり、違う方向に推し進める。
それはどうしようもないことだ。
できれば、この進む道が交わり、自分のいる位置が点となり誰かにとって観測できるものでありたい。
すぐに双方向に関係できてしまう時代、それはすぐに分断されてしまう関係でもある。
その危うさに対し慎重になり、余裕を持って関係していきたいと思っている。
どこまでいけるかわからないけれど。

あとどれくらいこの波に向き合えばいい?
あと何回もうダメだと思えばいい?
自分の中のわけのわからないものに振り回されて、狂った世界。
でも時間が経つと必ず生きていてよかったと思う瞬間がやってくる。
大袈裟かもしれないけど。


・すばらしい日々
僕らは離ればなれ たまに会っても会話がない 一緒にいたいけれど とにかく時間がない 人がいないとこに行こう休みがとれたら いつの間にか僕らも 若いつもりが歳をとった 暗い話にばかり やたら詳しくなったもんだ それぞれ二人忙しく汗かいて 素晴らしい日々だ 力溢れ全てを捨てて僕は生きてる 君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける 懐かしい歌も笑い顔も 全てを捨てて僕は生きてる それでも君を思い出せば そんなときは何もせずに眠る眠る 朝も夜も歌いながら ときどきはぼんやり考える 君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける

あらゆることに最適化していく人生、
今の自分に必要なのはただ実行していくこと。
環境はもう十分に揃っている。いらないのはネガティブと迷い


やりたいこと
色んな香水をチェックする、
映画を見る、クラブに行く、シーシャ、東京ライフ、引越し、デート、
福岡、鳥取砂丘、北海道、車中ライフ、旅、散髪、練習作曲制作ライブ、配信、動画投稿、
路上、服、機材検討、教則、レッスン、英語、海外旅行、滞在、ボーカル、ドラムリズム、ベース、酒、美味しいもの

やりたくないこと
空腹、練習(工夫する)、呑み会、批判批評、集団、社会、
沈黙、ネット、ツイッタ、フェイスブック、細々としたことの思考


何をするかできるか、するかではなく自然に目の前のできることをやっていく

2018年9月9日日曜日

青春のありか

もう一度、ゼロから物事を始めたい。

もう25歳、この時を逃したらもうない。いわゆる現代の若さのタイムリミットがきてる。
もちろん何事も始めるには遅くはない。ただ自分が何かを学んだり、経験するのは今でも悪くはない。
「今が一番若いときなのだから それは誰しも平等だから」
このような言葉をシタール奏者のK,Iさんから教わった。

一般的な大人との在り方と自分は違うかもしれない、分かっていたつもりだった。
でも年齢を重ねるにつれ、理想と現実のギャップができてきた。
恋人もいない(恋人ができれば何かが変わると思っていた)、年収も少ない(人として男としての価値がない)、音楽も仕事も人間関係もろくにできない(悲観的すぎるのかもしれない)感情や体調の管理ができない(模索中)
今になればどれもどうでもいい問題だとも思う、大事なのはどう生きたいか、何をやりたいのか、そのための行動をしたか。
しかし、これらが毎日頭の中を掠めるのは非常に問題だと思った。
何より煩悩や邪念によってパフォーマンスが落ち、目的が見えなくなる。
今がそのときなのだから。

とりあえず問題は書き出し、何度も検証し実行に移せば解決する。
これでできなかったら反省。基本的にメタ認知。
今は自分のソーシャルグラフを書くことにも興味がある。
人間、仕事、やりたいことを含めた人生の設計図みたいなものは必要かもしれない。
自分が把握できるのは身の回りの150人くらいだという、そこからソーシャルグラフを書くことは何か繋がるかもしれない。

希望を見出しても、何度も緩やかで些細な絶望や、モラトリアムががやってくる。
自分には具体的でも整理された計画を黙々とこなす必要があると感じた。
それを実行しても大体が上手くいかない。
自分には腹痛や体調や感情を理性でこなす努力や勇気がなかった。
惰性で日々をこなすことに慣れてしまっていた。
それでも日記を書くことで砂金のような希望を見出すこともできた。
何かをした、問題をこなす努力をし、多少は解消することもできた。
自分にはできないこともあるし、やりたくても向いてない社会があることが分かった。
それは協調すること(模索中、騙すこともできてきた)、体育会系や強要してくる社会。
自分に適した生き方を他人や時代と照らし合わせて生きていく。
協調と自立、人間関係は非常に危ういバランスでできている。

やりたいこと

バークレーチャンネル
制作、簡単な機材
県外のライブ、メンバー集め、やりたい音楽、販売、流通
ドラムヘッドを買う、交換、掃除
アンプ修理
海外、国内旅行
海外留学的なもの
踊る
練習
運動
服、本の整理、電子書籍化
プログラミング、バイト
物件探し
照明、光の理解
paの理解
譜面問題セッション
趣味
デート
美容院

2018年9月6日木曜日

2018年9月1日土曜日

徹底的

徹底的に細かく自分の欲求を、必要なものを書き出す。


人に話すのも大事だ。指摘してもらう。


それと自分に正直になる。