2018年6月27日水曜日

やる気

自分が思っている以上に都市と田舎の格差やコミュニティや、議論は感情のやりとり納得共感を
学生コミュニティ継続我慢努力感情納得コミュニケーションコストが高い業界、自分の適性を考えねばならない。


しなければならない、自分の思っていることなんてどうでもいい、大事なのはやることという意見を見たりする。
確かに一理ある、脳科学ではやる気なんて存在しなくて行動すれば出てくると言われてるぐらいだし。
これから自分は行動のみに焦点を当てて生きてみたい。
だけどそれは自分にとって苦行だ、
遥か昔から生きることは苦であるという仏教の教えからも分かる通り、これは割と普遍的な道理であり、感情なのだろう。


今まで行動しても感情が絶えずめんどくさい状態にあったので、ひたすら何かに没頭したい。
行動しながら鬱っぽいのは嫌だ、しかし鬱っぽくなりながらも行動しないと現状やっていけないのでは..と思っている。


とにかく雑念や煩悩が多いから制約を設けることにした。
睡眠時間は8-10x時間が適正、ひたする寝る。煙草は控えるカフェインも控える。
嫌な場所、人に会わない、情報を浴びるように摂取しない(これは見極めが足りないので具体的に知る)
無意識から意識に浮かばせる、分からないことは調べる、体験する。


これらが具体的に神経質に理解すれば、多少の微調整もできるはずだ。
ただストレスマネージメントをするに当たって厄介なのが、二律背反のパラドックスみたいなものが出てくる。
何か報酬、ご褒美みたいなものを得ようとするには、それなりの我慢、努力が必要であるという当たり前のこと。
これからどうみても自分の理想は高く、また具体的な目標設定ができていないんだろうということ。


やっぱり本質を知るにはある程度の時間、経験が必要なのだろうということ。
それでも無理せず、マインドコントロール、セルフブランディングが必要なのだろうということ。
想像するだけでだるい。
生まれてから特に何もしなくても嫌われてしまう生き物だから、自分の認知できる範囲で表現するしかないとも思う。
それ以外は諦めたり、無意識に帰っていくだろう。


自分は教養知識行動が足りてないせいで、ネットワークがあっても色んな事を生かしきれてないような気がする。
訊く人もあまりいないからひたすら検索していきたい。
自分が何をしたいのか分からなくなってしまったので、ひたすらまずは行動、制作したい。


どんなに理論的な集団であっても、個人的な差異によって結果が統一されないのはどいうことなんだろうと思う。
それは複合的な要因であり、個人の文脈から辿らないといけないのか。
そこまでのコストはかけていられないから、結果だけを見る機械みたいに生きられるのか。
ある程度の共有できるものがみんなにあればいいのだろうなとも思う、体験も。
人間とは何かみたいな話。自由意志が存在しているのかどうかとも言える。







2018年6月18日月曜日

若者をやめて大人になる を読んで

昔に比べて視力が落ちた。

もう昔のように風景を確かに見れることもない。
意欲、体が衰えていく実感がある。
そこでふと、このまま衰えて精神だけが子供のままで良いのだろうかと不安に駆られた。
またどのような存在が大人なのかと疑問に思った。

今年で25歳になる。
おそらく世間では若者と大人が混在し、色々な常識や責務がのし掛かってくる年齢だろう。
様々な経験が足りず、周りと比べて焦る一方の日々だ。
当たり前のことができずに思い悩む。
仕事、一般常識、恋愛、生活
そのようなものから逃げてきたとはあまり思いたくない。
でもあまり出来ないというのは逃げてきた証拠でもある。



2018年6月10日日曜日

行き詰ったときに自撮りと録音と日記によって得られる振り返り整理

最近よく自撮りや録音をしている。日記は一年以上やっている。


そのおかげで自分が客観的に見られることができる。
改善すべき点は誇張した表現の方が社会で通じるということ。意識してないとすぐダメになる。
またこれらの行為は苦痛を伴う。
こいつはなんて不愛想な表現をしているのかと思ったりする。
なんでこの行為を始めたとかいうと、舞台に立ったり対話してると自分が何をしてるのか分からなくなる瞬間があるから始めた。
客観視することで自分の限界を把握したりやイメージと実際の制約に苛立ちを覚えることもあるがコツコツやっていこう。


最近忙しいせいか疲れてしまい、他人と比べたり承認欲求が強くなったり、被害妄想が激しくなっていた。
これはいけないと思い、ひたすら寝たり自分のこと振り返ってみた。
原点に帰って自分は息をしているだけエライと自分を褒めたり、そんなに絶望するほどのことでもないかと開き直りのパターンに入っている。
日記も振り返るときに重要なパーツ。過去の自分がやってくれたことに感謝しつつ頑張ったと自分で自分を褒めます。


普段、疲弊している社会なのでなるべく他人に依存せず健康な精神状態に持っていきたい。
また自分が好きなもののせいにしたり、他人のせいにしたりするのカッコ悪いとも思う、
なるべく、できるかぎりやっていきたらいい。


次くるルーティンは何かやろうというポジティブのパターンだろう、頑張っていきたい。